優しさの付加価値

よく聞く「傷付いた分だけ人に優しくなれる」という言葉。そもそも、そうして優しくなることに価値はあるのか。最近よく考えている事。人に優しいことは自分にとって損にでさえなり得てしまうのではないだろうか。少なくとも私にはそう思うことが何度かあった。優しさによって失ったものや損をしたこと、苦しんだことだってあった。優しさに漬け込む人は必ずいて、それによって「ああなんでこうなってしまったんだろうな」と思ってしまったこともある。

 

そもそも過去の記事にも書いたけれど、傷つくことなんて少ないほうがいいに決まっている。傷つかず、屈折なく育ってきた人間のほうが真っ当(という言葉が正しいのかは分からないけど)なんだろうな、と思う。苦しむことにいいことなんてない。それを経験しないことは、それほど楽しい人生を歩むことに繋がるだろうし素晴らしいことだろう。 

例えば「死にたいなんて言うな、そんなの悪いこと、親に感謝しろ」ーーーまぁ、そういう人もいるだろうな。だって、そういう経験をしてこなかったから。死にたいなんて思うことはなく、周りから言われた死ぬのは悪いことという言葉を信じ、疑うことなくここまで来たんだろう。親には普通に育てられ、当たり前に成長期、反抗期を迎え、金銭面でも苦労することなく好きなことをして入りたい場所へ入っていけた人間。言葉が悪いかもしれないけれど、そもそもの土俵が、違う人間。その親が原因で悩んでるんだわ…と言いたいこともなくはないけれど、だいたいはへらへらして平謝りするくらいしか出来ない。

 

それが悪いというわけではない。だけど、そういう人は必ず「自分は正しい」と信じて疑わない。それだけが少し厄介だ。生きることが正しいと、死ぬ事が間違っていると思うことは勝手にしたらいい。それは個人の自由だ。ただしそれを他人に押し付けてしまうのは違うと思う。ただそれはなかなか伝わないんだよなぁ、難しい。

 

少し話が逸れたけれど、とにかく私は優しいことが素晴らしいことだとは思わないし、特に苦しんだ末に優しくなれるからと言われるのはあまり好きじゃない。もちろんそう言われて嬉しくて頑張れるときもあるけれど。

「頑張ったね、もっと強くなれるからね」なんて言われたくないのだ。頑張ったから、もう強くなんてなりたくないし人に頼られたくもない。それほど辛かった自分をただ見て欲しいのだ。自己愛が強いだとか思われてしまうかもしれないけれど、そもそもの人間の本能ってこんなもんじゃないのかなと思う。

 

優しくなることで得られるもの。

それは、また人からの優しさだったりするのかもしれない。それが付加価値に感じられるかどうかはその人次第だと思う。優しさは優しさを作る。例外もあるけれど、なんとなくそういうものなんじゃないのかな。

全てのことにおいてそれをいいことと捉えられるのか、悪いことと捉えるのかというのはその人の感性次第で、その感性を養っているのは優しさなのかもしれない。

 

「優しくされたぶん、他の人に優しくしてあげて」

と、私の恩師はいつだかに言っていた。確か中学卒業の前に話したとかだったかな。当時の私は先生の前で泣かずに話をするのが精一杯で、下を向きながら話をしていた。だけどこの言葉だけはやけに印象に残っている。

優しさは人に(言葉は悪いが)植え付けることの出来る唯一の生きる道なのかな。私はまだ、たくさん貰った優しさを返すことは出来ていない。

利子をつけて返せるほどに優しい人になれたら。きっと、私がもらうことの出来た多くの人からの優しさは私のインナーチャイルドを育てたに違いない。その優しさに助けられ、何度も涙を流した。優しさは私を苦しめるけれど、時々感じる優しさに触れたときの人の温かさが嬉しくて、結局また元に戻ってしまうのだ。

無駄に感じてしまうことも何度もあったけれど、それでもやっぱりこうして生きているのは人の優しさに触れていたからで、それこそ優しさの付加価値なのかもしれない。

自分が優しくすることで得られるものはないけれど(満足的な意味、自己顕示欲を満たす、とかの意味ではあるかも)、優しくすることで巡り巡って返ってくる優しさがあるというのはあながち間違いではないんじゃないのかなと思う。そういうことを仕事にしている人は1部が麻痺してしまうほどしんどいときもあるんじゃないのかな。共感はクライエントには落ち着きとかを与えるのかもしれないけど、それはその気持ちを請け負うという意味でもあって、仕事でもそれをしていたらパンクしてしまうのではないのか… でも、そういう人たちが居るおかげで私のような人間は生きれているわけで。

人の優しさは人を生かす。それでしかない。優しさの方向性は違えど、人を生かしていきたい人の気持ちは何も変わりないのかも。そう簡単に死ねはしない世の中で、死にたいと思いながらも必死に生きている自分はそう思いながら毎日を過ごしている。

 

少しだけ意識的に過ごしてみると素敵な出会いもあるかもしれない。優しさには利子をつけて、その人本人にでも他の人にでもいい。繋げていけたなら、まだ少しくらいは生きやすくなるんじゃないのかなぁ、そんなの夢物語かなぁ、とか色々なことを考えている。