被害者の役割を降りるとき

ずっとずっと、私は被害者だった。

いじめ、虐待。いつもされる側で、それはまさに艱難辛苦。私に深いトラウマを植え付けた。根っこで燻り続けるその傷が、いつまでも私を苦しめた。助けて欲しいという言葉さえ言えず、傷はどんどんと深くなっていく。早いうちから処置しておけば、縫い付けてあげれば、薬を塗っていれば、もっと浅く済んだ傷は、無視をしてきた代償で、広く、深く、残っていった。

 

幼少期の被虐待体験がある成人を対象にしたf-MRI(ファンクショナルMRI、機能性磁気共鳴機能画像法)による検査によって、被虐待体験が脳に及ぼす影響に関する知見が得られるようになってきている。
これまでに、性的虐待の大脳視覚野への影響、暴言虐待の聴覚野や脳梁(左右の大脳半球をつないでいる部分)への影響、厳格体罰前頭葉前野や脳内報酬系への影響、DV の目撃の視覚野への影響などが指摘されている。(ワンストップ支援における留意点 ―複雑・困難な背景を有する人々を支援するための手引き)

 

私の脳は、もう戻らない。過去の出来事をなかったことには出来ないし、それを受け止めることしか、今の私に出来ることはない。わかっているけれど、それでも苦しいのだ。さっさと受け止めて前を向くのが1番いいことだとわかっていようと、体が、心が、それに順応してくれるとは限らない。むしろ、思考と実際が剥離していけばいくほどに、またその傷は深くなっていく。

受け止めるとは、どういうことなんだろうか。赦すこと?受容し、未来志向になること? それとも、気付くこと?事実を知ること?私はずっと疑問に思っていた。簡単に受け止めるなんて言うけれど、それが出来たら苦労していないし、そもそも受け止めるのはなんなのかがわからないのだ。そこで、私は、ふと、受け止めるということは被害者の立場を降りることなのではないかと思った。

被害者の立場を降りるというのは自分自身が被害者であることを認めるだけでなく、加害者がいることを理解すること、そのときはただ虐げられていた心を再度見つめて認めてあげる、育て直してあげるということだと思う。傷を癒すというのは、その傷がどのようについてしまったのかを、よく思い出す作業。それで、記憶に落とし所をつけて、何とか過ごしていく。依存性患者が毎日回復し続ける(物質を使用しない日を更新していく)ことと同じように、私たちトラウマに囚われた人々も、日々それを忘れ続けるーーすなわち、受け止め続ける。それが、被害者の立場を降りるということなのかもしれない。いや、もしかしたら忘れ続けるというよりは、それを意識しなくても大丈夫なくらいになる、という言葉のほうが正しいのかもしれないが。

 

自分を愛することには、被害者の役割をやめることも含まれます。被害者の役割を担うことには、注目と承認が得られるという恩恵もあります。私たちは、他人からの関心や哀れみを愛と誤解し、それを得ることが私たちが愛を感じる唯一の方法になり始めます。(2016,ティール・スワン)

 

自分を愛するのは、辛い。それはトラウマ経験のある人に共通した意識だろう。自分自身を加害者だと思っている面と、被害者だと思っている面があるから、自分を愛することで自分を”赦した”気がしてしまうのだ。自罰し続けなければいけないと洗脳された人に、自分を赦して、そして愛してあげようと言ってもそれは難しい。そもそも自分を愛した経験なんてないし、基本的には自分自身を責め続けているからだ。しかし、だからこそ、自責の部分は変わらないとしても、被害者の立場を降りるためには、加害者と被害者の関係を明らかにしなければいけない。

加害者から与えられるのは、無意識下での「自分は存在していてはならない」という否定的なメッセージだ。それに慣れて、麻痺していくと、それがさも自分の考えのように洗脳されていく。本当はその言葉は加害者からの受け売りなのに、実際に自分がそうであるかのように、感じていってしまうのだ。「死ねばいいのに」「産まなきゃ良かった」と言われてきた子は自分の命に疑問を持つ。「ブサイク」「出来の悪い子」と言われてきた子は自分自身に見えない才能があったとしても、自分はこの世でいちばん価値のない存在であるように思うようになる。

DVを受けた女性が似たように暴力を振るう男性と付き合うというのはこれと似たような例だと思う。なるほど、それを愛と思っている人からすれば(それが無意識であれ、意識的であれ)、暴力は愛に必須なのだ。被害者であり続けるということには、決まった人間関係パターンが構築されやすかったり、慈愛の目で見てもらえるというよいところがある。自分自身もそれに縋っていれば気持ちは楽だ。けれど、それはまたそういった関係性(加害ー被害)を繰り返してしまうことに繋がる。人生で、トラウマの再演が続いていくのだ。だからこそ、私たちは、被害者をいつかは辞めなければいけない。つらく、悲しい事実だが、実際は被害者のまま、幸せになることは難しいのだと思う。幸せに見えるそれは幻想であって、真の幸せではないのだ。幸せの形は多彩で難しい。

 

私は、急にやってくる意味のない希死念慮は、死にたい気持ちのフラッシュバックだと解釈している。過去に辛い出来事のあった人は、解離やフラッシュバックの頻度が多い。その解離やフラッシュバックは、どうやら体だけの問題ではないようだ。感情の麻痺という意味での解離、映像ではなく感情のフラッシュバック。私は、それが確かにあると思っている。なんとなく不快な感じだったり、むしろ辛い状況なのに感情が押し込められたり。それは、無意識に追いやった記憶が、表面に出てこないようにする術なのだ。

被害者を辞めたとしても、これは繰り返し起こるだろう。そう簡単に記憶とはさよならできないし、記憶の整理をしていく過程では、逆に解離やフラッシュバックが頻発することもある。トラウマ治療は曝露療法だ。記憶を正しく処理していくというのが目的。だからこそ、それをするのは険しい道のりだと思う。固く閉ざされた記憶を開く作業は、それほどに難しいことなのだ。

想像している以上に加害者を加害者として理解していくことは辛いし、自分がその被害にあったと言葉に出すのは難しい。凝り固まった思考を前向きに変えていくことなんて至難の業だ。それを、私ができるのだろうか。何度も悩んだし、確かに私はトラウマの恩恵を感じていた。だからこそ、きっと、トラウマを手放すのが怖かった。トラウマを手放すのが怖い、そんな発言をしてしまえば、私を応援してくれている人達に呆れられてしまうかもしれないけれど、とにかくそれ以外の言葉が見つからない。私は、怖かったんだ。トラウマを手放してしまえば、人生のほとんどが失われ、ぽっかり穴が空いてしまう気がした。そもそも、トラウマを抱えずに生きていく自分の姿が想像できなかった。そんな自分は私じゃないとさえ思っていた。本を読んだり、色々な人の文章、論文を見漁る中で、「これはこうするべきだ」とか「これはこういうことが理由で、こういう症状である」とか、そういう知識はついても、なんだかそれを自分に照らし合わせると乖離していくような気がした。沢山本を読めば、文章を読んで理解することは容易になる。けれど、それを自分のこととして受け止めて、活かしていけるかというのは別物の話なのだ。知ることと実行することは違うし、そもそも知識を実際に照らし合わせていくのはとても難しいと思う。他者を想うように自分を愛することはできないし、そもそもどんな事象も「私以外は適応される」と思う。私じゃなければこう声をかけるとか、こういう風に寄り添うとか、そういう考え方はできるのに、それが自分のことになるとてんでダメになる。それは、自罰意識の現れだ。それを自分で理解するのも、とても苦しいこと。人生の基盤を揺らがされたのは事実とはいえ、そういう思考パターンで決まった人間関係を築いてしまっているのは自分だと、気付かされてしまうから。私はそれが何よりも怖かったのかもしれない。例え、私にトラウマを与えた加害者が悪かったとて、そう私が思えるようになるか、認知の歪みを直せるかどうかはわからないのだ。

 

何度思ったかしれない。

殺してくれたらよかったのに、という気持ちがまたふつふつと頭に浮かんでくる。助けを求められなかった小さい頃の私を見ては、「なんでこのとき助けを求めなかったんだ」と大きくなった私が責めている。

認知の歪みでいちばん辛いのは、全てを抱え込んで自分のせいだと思い込んでしまうことだと思う。私も長年それに苦しめられた。全て自分が悪いと思えばトラウマは楽になる…と、そう信じてきたものも、脆弱だった。

 

トラウマについて考えるとき、私に浮かんできたことがあった。それは以下の通りである。

"例えば、同じような境遇で育ってきた子どもがふたりいたとする。家の中で、母親から殴られ、暴言を吐かれ、居場所はなく、そんな日々で、ひとりは母親を恨み、嫌い、思春期に入る頃には反抗し、母親に暴力を振るい、母親と同じように言葉を荒らげ、罵倒するようになる。そして、金銭的な余裕が出ればすぐに一人暮らしを始める。またひとりは、母親をそれでも愛し、健気に愛を渇望し、永遠に「いい子」を演じ続ける。実家暮らしを続け、不安定な母親のカウンセラーとなり、ある種共依存のような状態となる。それぞれは同じ扱いを受けたのにも関わらず、全く正反対の道へ進んだ。一体何が違ったのだろうか。"

本当にふと、疑問に思った。というのも、Twitterには(もちろん家庭環境の差はあるし、この例のように全てがそっくり同じようにと言うのは難しいし、ここまで顕著に母親へ反抗している人はあまりいないけれど)"母親からの愛情を渇望している人"と、"母親を憎んでいる人"がいて。私はどちらかといえば前者で、何をされても大好きで、愛して欲しくて、愛して貰えるならなんでもいいと思っていたから、不思議で仕方なかった。それと同時に、自分の中にある気持ちーー「母親に愛してもらいたい」「母親からの愛は諦めるしかない」「母親はちゃんと愛してくれているのに、その愛情を受け取れていないのは私だ」ーーは、どれも母親への憎悪と言うよりは諦めだったり、自責の念であったり。SCから「"自分のせい"だって自分を責めてるほうが落ち着くのかな」と言われてそれだぁと思った。その気持ちがあまりに根強いから、こういう思考になるのかもしれない。他人のせいはどうしようもない。だけど、自分のせいなら自分を変えればいいから(この場合、自分に原因がないのに自分のせいだと思っているわけで、変えようがなく余計にアンビバレントな感情に苦しめられるのだが)そう思う方が楽なのだ。

人は変えられない、変えられるのは自分だけ。

それを理解しているから、他人へ意見しない。いや、それよりは他人へ意見することが怖い。どんな反応をするのか、何よりも恐れている。もし傷付いたらどうしようと、後込んでしまう。

 

信じるとは、そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。信用する。信頼する。信仰すること。

 

信じるとは。気になり調べて出てきた文章。ああ、わたしはある意味、人を信じている。自分のこと以上に。そして、信じない相手は自分だけだから、疑えるのは自分しかいない。私の信じる行為は少し盲目的。信仰、あるいは錯覚。自分自身を信じられないからこそ、他者を信じてしまうのか、はたまた、他者を信じてしまうから、自分自身を信じられないのか…。

 

「信じてしまう人」がトラウマを持ちやすいのか、「信じない人」がトラウマを持ちにくいのか。そのような比較はできないけれど、なんだか考えさせられる。私にはこうして思考を練って練って考えることしか出来ないから、今日も考える。トラウマとは何か。どう対処すればいいのか。考え続ける。被害者の立場を下りられる日を待ち望みながら、考える。