艱難辛苦

幼少期からずっと埋まらなかった母親からの愛情を渇望する気持ちは、今も心の中に残っている。ふとしたときにぶり返して、閉めていたはずの蓋が外れてしまう。そうすると、ゴミ箱に入れたはずの「私を見て」「愛して欲しい」「抱きしめて」が溢れ出てきてもうどうしようもなくなってしまう。そして1番悔しいのは、私が求めているのは母親からの愛情、ただそれだけということ。どんなにむごいことをされようと、私の母親は1人しかいないし、確かに愛された記憶もあって、その記憶が余計に私を苦しめる。最初から愛されていなければ、愛された記憶がなければ、知らなければ、まだ幸せだったのかもしれないな、なんてたらればだけれど。知っているからこそ余計に辛い、気がする。

私に手を差し伸べてくれたたくさんの先生たちは、口を揃えて「家で甘えられない分学校では甘えていいんだよ」「私たちはあなたが必要だよ」と言ってくれた。嬉しかったし、心の穴が埋まった気がした。けれど、埋まった穴は表面的でしかなくて、根本の「母親に愛して欲しい」は私の心を燻り続けた。結局、根っこの穴が埋まらなければいくら表面的に穴が埋まろうと最終的にはまた穴が空いてしまう。母親の代わりなんて、誰にもならなかった。私はただ、母親に、母親だけに、愛して欲しかったから。先生たちからの優しさや愛情は、私が求めているそれとは違ったんだと、そう気付いてしまったときの申し訳なさ不甲斐なさ、情けなさは尋常じゃなかった。先生たちを、いたちごっこに付き合わせているようなものだと思った。何も変わらない私に、手を煩わせてしまってごめんなさい。そう思うと、自分から話をすることも出来なかった。そもそも死にたいのに相談するなんて、結局のところ生きたいんじゃないか、とか、死ぬ気でいるのに話を聞いてもらうなんて、どうせ死ぬのに無意味じゃないか、とか、そんなすごく歪んだ思考をしていた。

閉めていた心のゴミ箱の蓋が開いてしまうと、じわじわと過去の出来事が私を侵食する。フラッシュバックを繰り返して、私をそのときに連れ戻す。もう、殴られないのに、蹴られないのに、なのに、今されているかのような臨場感と恐怖が私を襲う。自分のなかで剥離させたはずの記憶が勝手に戻ってきては私を蝕むことが多々ある。暴言、暴力、全て、当時は麻痺していて痛くもなかったはずなのに、フラッシュバックしたときは確かに痛くて、怖くて、「ああ死ぬかもしれない」と確かに思う。こんなときは、何も覚えていなかったら楽なのになと思う。中途半端に解離するくらいなら、最初から全部覚えてなければ今の私は幸せだったかもしれないな、なんて。

 

神経症者にとっては生きていること自体が、そのまま負い目になる。だからこそ、誰からでも褒められると嬉しいし、誰からも認められたい。彼らのその欲求は幼児が欲するそれとは異なり強迫的であり、つまり、認めてもらえなければ生きていられないのである。

 

幼少期から否定され続けて育った子どもが、なんの支援もなしに外向的で自己肯定感が高く、幸せに過ごしていけるわけがない。存在するなというメッセージをいちばん身近な、いちばん信頼していたかった人からかけられ続けたわけで、絶望は底なし沼だろう。誰からでも褒められると嬉しいし、誰からも認められたい一方で、それで満たされることがない。または、満たされたとしても一瞬。だからこそ、何度も何度もそれを求める。承認欲求がとても強い。まさに強迫的な行為だと思う。自分で色々なことに気付いてしまう日々は苦しい。知らないほうが幸せだったと思う瞬間が幾度となくある。虐待だって、全て、知らないときは楽だった。知らなければ、悩まないし、苦しまない。それが当たり前だから。それが自分にとっての日常だから。気付かなければ、絶望することもない。勉強をしながら自分を生きながらえさせている一方で、それが原因での気付きによる苦しさはどうも治まってくれそうにない。気付いてしまったことを受け入れて、それをなんとか落とし込む他ないんだろう。勉強を始めたことで、元々あった離人感、自分を外から見ている感覚もより1層強くなり、自分が経験してきたことも全て本にでてきた事例を1つ読み物として読んでるような感覚に陥る。辛い経験を泣きながら話すことは出来ない。出来事、経験したこと、というより、とある人にそういうことがあった、そういう事例、として口にしている感じ。

私が1番辛かったのは、殴られていたときじゃない。蹴られていたときでもない。真冬に家から締め出されたことでも、毎日のように浴びせられる罵詈雑言に耐えているときでもない。それが虐待だと、知ってしまったときだった。自分が「辛い」と自覚してからは、いつも心のどこかでそれが私を蝕む。楽しいときも、幸せなときも。笑っているときも、どこかで「辛い」が私の邪魔をしている。常に棲み付いているそいつの飼い慣らし方を私はまだ知らない。知らないから、時々急に暴れ出すその感情にどうしようもなくなって自傷に走るんだと思う。根本が満たされないから、何も解決しない。芋ずる式で全部辛い。そんなの望んでなかった。楽になりたかった。楽になれるならなんでもいいと始めた自傷は、余計に私を苦しめるだけだった。汚い腕を必死に隠し、バイトも見付からず、夏は暑い。可愛い裾にレースがあしらわれたデザインの半袖も、上からカーディガンを着るしかないので着れない。この服可愛いな、でも私は着れないや。そんなことを服屋で繰り返した。

 

それから、自分を受け入れたら楽になれる、なんて謳い文句の本を何冊も読んだ。そこに答えがある気がしたから。悟るというか、こう、そういう領域にまでいってしまえたら楽になれると、信じていた。こういう人が宗教とかにどハマりしてしまうんだろうなぁ。

けれど、何も変わらなかった。変わるのが怖かったから。変わってしまったら、何も無くなってしまうと思った。今まで「辛い」と生きてきたから、それがなくなったときのことなんて想像できなかった。それこそ、傷と長年連れ添ってきて情でも湧いたのか、ってくらいに。そもそも、傷(今までの辛い経験)を手放すのが怖かったんだ。どこかで、私はいつも「この傷があるから仕方ない」と思っていた部分があったんだ。どこかでその傷に甘えていたんだと思う。傷に固執して手放さずに待っていたのはただの生き地獄だった。変わりたいのに変われない、変わりたいけど変わりたくない。だけど、今までされてきたこと、全てを恨んでいるわけじゃない。いじめも虐待も性被害も、それが原因で繋がれた支援者もいたから。むしろ、ここまで先生(教師やその他「先生」と呼ばれる人)や専門的な支援者(医者やカウンセラーや心理士、ソーシャルワーカー)と話すことが出来たのは、傷のおかげでもある。時々こうやって痛みを受け入れて、「これでよかったんだ」と思い込むようにするけれど結局は巡り巡って苦しいに戻ってくる。傷があったから出会えた人。貰えた言葉。それに生かされている自分になんとも言えない気持ちになる。自分の力で、自分のために、自分がそうしたいからと決められたことは人生の中でいくつあったんだろうか。生きることでさえ、ただ周りの人が悲しむのを見たくない、なんて考えで続けているだけなのに。後悔のないようにしたためている手紙でさえ、上辺の言葉ばかり。死ぬ前に、死ぬ気で助けを求めればいいのに。現状を、自分のことを、誰かに言えればいいのに。それが出来ないから死ぬなんて生産性のない無駄なことをするなぁなんて自分に対して感じていたりする。

私の根本を創り上げたのは母親であり、それによって歪んだ認知を正そうとしてくれたのは、周りの人達だった。愛着基盤の時点で人生ほとんど決まったようなもんだなぁなんて思っていたけれど、もちろん思考パターンはなかなか変わらないけれど、私はこの環境にいたから変わったことは沢山あったと思う。支援者たちに出会えない環境だったら、もっと早く私は死んでいたんだろうな。

 

きっと、周りからの支援は直接的なものだってもちろんあるけれど、それでも、母親が変わらない限りは、私が変わらない限りは、対処療法でしかないんだ。母親からこう言われて辛かった、それを支援者に話して自分の気持ちを落ち着ける。過覚醒で眠れなければ、睡眠薬が処方されてそれを飲む。全部、なんとか今ある苦痛を和らげるためだけにしている対処療法。ずっと奥にある根っこを変えていかなければ、永遠に対処療法を受け続ける他ないんだろうな、と最近思う。

本を読んだり、自分で思考を巡らせたりしていて気付いたこと(気付いてしまったこと)がたくさんあって、希望を感じたり絶望したり、忙しい毎日。どれが正解なのか分からない。いや、正解を求めること自体間違ってるのかもしれないけれど。正解か不正解か、いいか悪いか、完璧か、怠惰か。私の中ではどちらかしかない。少しでも質が落ちれば不正解で悪くて怠惰になってしまう。手の抜き方が、力の緩め方がわからない。70%好転する可能性があるなら、他の人なら飛び付くはずなのに私には残りの30%が怖くて、それなら変わらなくていいと思ってしまうところがある。テストも、目標点にいかなければいくら平均点が低かろうと、順位が高かろうと、努力不足だ、怠惰だと思う。ずっとずっと私は正解を探している。きっと、完全な正解以外の選択肢は沢山ある。少しは良くなる、悪いところもあるけれど良くなるところもある、ほんの少しだけ変わる。数え切れないほどあるはずの選択肢に手をつけられないのは自分の悪い所。100%の正解なんて、あるかもわからない。そもそもないかもしれないのに。先生たちと話をしたり、勉強をする中で顕在化してきた自分のパターン。

 

  • 0か100、良いか悪いかという考え方
  • 過剰な「しなければいけない」「してはいけない」
  • (そんな器量ないのに)ストイックに追い詰める
  • 何をしても自分を認められない
  • アンビバレントな考え方
  • 変化していくこと、変えることが怖い
  • 考え過ぎる

 

全部、個性でもあるのかもしれないけれど、それでも生きづらいのは事実だ。軌道修正とまではいかなくても、ほんの少しでも生きやすくなる方法を模索したい。

自己肯定と他者肯定について触れてみると、めちゃくちゃ偏りがある。 I'm not OKだけれど、You're OK。なかなか自他肯定にはならない。自己否定、他者肯定。多分人に尽くしてやっと生きがいを感じられるタイプ。むしろ人の役に立ってないと申し訳なくていてもたってもいられなくなってしまう。今思えば中学の何個もの役職を掛け持ちしていたあのときも、なんて、考えてみるとキリがないくらいに色々と出てくる。身を削るような生き方は辞めたいと思いつつももはやそれがルーティンになっているような気もする。交流分析とか、行動分析とかの読み物を見ていると、典型的なパターンだなぁ、なんて思うことも多々。

 

概念としてはHSP寄りなんだろうな、とも。ただ確立された病名という訳でもないし、最近はその言葉だけが独り歩きしている気がするので、どうも自分がHSPだ、という主張はしたくないんだけれど。

私が今1番苦しいのは、自分が怒鳴られているときじゃなくて、弟が怒鳴られているときなんだろうなと思う。自分が怒鳴られるのも、もちろん苦手だけれど人が怒鳴られているところを見るのがてんでダメ。「助けてあげられなくてごめん、見て見ぬふりをしてごめん」という気持ちと、フラッシュバックとが私を苦しめる。基本的に人の感情が移入しやすいので、険悪な雰囲気だったり誰かが怒っていたりするのもとても苦しい。自分に原因がなかったとしてもその負の感情が一気に自分を襲ってくるので、「ごめんなさい」の気持ちになる。ある意味自意識過剰というか、気にしすぎではあると思うけれどなかなか気にするなと言われても難しい。大きい音や怒鳴り声はもちろんフラッシュバックのトリガーであるし、結論から言うとめっちゃ生きにくい。1人で部屋に籠って、布団の中でずっと過ごしていたいくらい。他人との交流が苦痛。もちろん、友達は申し分ないくらいには居るし、人と話しをすることが嫌いなわけでもない。けれど、とにかく摩耗する。身が削れていく感覚。カウンセリングは5年目くらいで、それとはまた違う分断された感じだけれど(そもそも否定されること、怒鳴られることはほとんどないし)。電話が苦手なのも、音が近いから、表情が見れず喜怒哀楽が読み取りづらいから、着信音が怖いから、とか、そういう所から来ている気がする。

 

私は母親に愛して欲しいんだなぁ、と気付いてから、「許さない」と思う自分と、「許すも何も、そんな酷いことされていないだろ」と思う自分と、「許さなくていい、もう諦めよう」と思う自分と、「愛してくれるならなんでもいい」と思う自分と。まだまだたくさんあるけれど、とにかく自分のなかでも葛藤が激しい。母親の話をしているとたびたび出てくる「洗脳」という言葉に、納得せざるを得ない感じ。自分自身を信じることも出来ないので、例えば(もちろん兄や姉も経験しているので、そんなわけないけれど)「今まで私が母親にされたきたと思っていたことはただの妄想なんじゃないか?」と思ったときもあった。母親は怒ると、そんなことしていない、そんな覚えはない、と言うから。自分の記憶さえ疑ってしまうのは悔しい。自分の記憶を確かなものにして、その記憶をしっかりと過去として収めよう、と思い書いたのが先日のブログだった。もう1ヶ月くらい経ったけれど、本当に多くの人から言葉をいただいた。それは賞賛であり、批判であり、同情であり、優しさでもあった。全ての言葉を自分のなかで丸め込んで、結果的には「そうしてよかった」と思えた気がする。それが原因で色々と動いた物事もあるし、心境の変化もあった。初めて、自分を赦すことについて考えた。そもそも赦すも何もあるのかというところもあるけれど、とにかく前に進みたいと思った。進んだ先が生きるのか死ぬのかはわからないけれど、進める、と思った。

ブログを読んで、感想をくれた人の中で数人から「私はあのブログを読んで、過去を過去として受け止めて、迷いなく死のうとしているように見えました。もう、生きる気持ちはないように思えました」と言われた。ハッとした。過去を過去にして前に進む先に、生きるという選択肢の幅がものすごく狭くなっていた。死にしか向かってない、逆に死ぬからこそここまで赤裸々に全てを話せたんじゃないのか、と。心理的視野狭窄。常に生き急いでいるから、周りの人から言われた「赦さなくていい」という言葉も見ずに、私はただ赦すことだけが正義だと、100%正解の答えだと思い込んでいた。そして、その「赦さなくていい」は、母親のことを、という意味なのに、勝手に自分のこととして履き違えていた。そもそも自分が何をした?赦さなければいけないほどのことを、自分にしたのか?きっとそう聞かれても、パッとは答えられないだろう。せいぜい生まれてきてしまった、くらい。けれどそれも自分の意思に反してのことだし、結局前々から言っていた考えすぎてしまうところが裏目に出ているような気がする。

考えて、考えて、考えて考えて考えて、考えすぎて余計にわからなくなって。自分の首を絞めているのは自分だけれど、その基盤を創ったのは母親であって。全てを許さないことで、その憎しみで、自分を保っていたのかもしれない。それがなくなってしまったら、生きる気力もなくなってしまうかもしれない。今の自分は一体何を目指しているのかわからない。迷走している。悩んでも答えが見つからない。そもそも確かな答えがない。答えが分からないものを抱えていると、不安で不安で仕方なくなる。頭の中がそれで占拠される。ずっと、そうやって不安を、見つからない答えばかりの悩みを抱えて生きてきたんだと気付く。苦しい。

 

ずっと無理矢理でも前向きでいたはずだけれど、最近は少し下を向く回数が増えたような気がする。何も考えたくないけれど考えるしかない自分を、どうにか出来たらなあ。それでさえも考えてしまって必死になって苦しくなるのはどうなんだろうな。勉強しすぎた弊害かな。