縄を握って金木犀へ、

上手くいかない。何も上手くいかない。想定外だらけの毎日だ。そんな毎日終わらせてしまおうと思った。辛い気持ちを無視して、視野狭窄に陥ってる自分を殺して、私はベルトを片手に家を出た。200錠飲んだ薬はまだ回る前で、拒食で少しふらついた足を動かしながら、公園をめぐりめぐった。どこなら首を吊れるんだろう。

私は金木犀の香る木の下で死ねたら、と思っていた。でも、そんなの甘かったんだ。たまたま運がいいのか悪いのか、細い木しかなかった。しかもそれは金木犀ではなかった。雨上がりで金木犀の香りはほとんどなかったし、金木犀を探す手だてもなかった。何しろ薬が回る前に、この夜中に、なんて…そう簡単に上手くいくはずがなかったのだ。

……ふらつく。薬が回ってきた。搬送だけは避けたい。だから、細い木で首を吊ってみたりしたけど、上手くいかなくて…首を吊るのを諦めて、家へ帰った。

同居人のいない夜は酷く長かった。薬が効いて、1日中眠り、目覚めたのは2日後の朝頃だった。体内時計は狂っていて、感覚は月曜日だった(薬は日曜日に飲んだ)。吐かなかったし、普段飲んでいる薬の規定量が多いのもあるのだろう、大きな副作用もなかった。少しの吐き気と、丸一日眠ったことくらい。

なんだ、こんなもんか、と思った。いつも死にきれない。いつも上手くいかない。笑ってしまって、会う約束をしていた先生たちに連絡をとった。

「すみません。薬を飲んで首を吊ろうとして、上手くいかなくて入院になりました。会えません。退院したら会いましょう」

先生の反応は様々だった。「何やってんだよお前〜!」みたいな人もいれば「本気で心配した」と言ってくれる人もいた。「退院したらうちにおいで、子どもと遊ぼう」だとか、「脱獄(退院)したらSCを受けに、遊びに高校へ来てください」と言われたりした。今までたくさん愛されてきたし、今も愛されていることを思い出した。なんで忘れてたんだろう。心理的視野狭窄は恐ろしい。私は誰からも必要とされていないし消えてしまえばいいと思っていた。だから、先生たちからの言葉は涙が出るほど嬉しかった。かまってほしくてやったわけじゃない。やれるなら完遂したかった。だけど、死のうとしたことで、改めて気づけたことだってある。いいんだ、これで。のらりくらり生きていくのがいつもの私だ。ふわり、ふらりと生きていく。それが私だったじゃないか。

 

「あのね、そのお薬の量は本来だったら搬送されて胃洗浄とか点滴を受けるべき量で、今までしたことがなかった首吊りをしようとした時点で、入院は待てないと思ってます」

 

主治医にそう言われて、4回目の入院が決まった。急性期の精神科閉鎖病棟。いつもの病棟。もう逃げてしまいたい気持ちもあったから、少し安心したりもした。言語化ができるようになってきたと思っていたけど、まだまだだったんだ。やっと口に出してSOSを出せるようになったけど、それだけじゃまだダメなんだ。私にはまだ、待つ力がなかった。24時間対応の訪問看護に連絡する勇気はなかった。でも、担当のPSWさんには連絡した。寂しくなって、LINE相談を開こうともしてみた。対応時間外だった。私はこの「対応時間外」に随分と弱いのだ。そういう時間に調子を崩しやすい。自覚している。これを克服していかなきゃいけない。いつだって助けてもらえるわけじゃない。いつだって、誰かに縋ればいいわけじゃない。わかってる。大学在学中に克服しなければいけない課題だ。

1回目の入院の退院日から約1年。そして、3回目の入院の退院日から約3ヶ月半。入院するようになってからはまともに半年外で過ごせたことはない。今回もそうだし、次回も多分そうだ。次回は計画的に2月に入院をする予定なので、また3ヶ月で入院する。ああ、弱くなったなあ…なんて、そんなふうに思った。

私は強かった。確かに、強かったはず。中学生の頃は、今よりも辛かったかもしれないけれど、毎日をなんとか生きていたし、入院費を気にして入院もしなかった。何度も入院の話が出ては流れてを繰り返していた。頑張れていたのに。今の私はもう頑張れない。休む方法を知ってしまったら、もうそれ以上に頑張ることは出来ないのだ。それが現実なのだから、つらい。つらいけど、生きていくしかない。と、思う。いつもこの繰り返しだ。死ななければ、いや、生きなければ。消えなければ、いや、進まなければ。頑張らなければ…もう、頑張りたくない。アンビバレントな気持ちと向き合う、必死になって。

 

「助けて」さえ言えない時期があった。今は違う。ちゃんと、「助けて」と言えるし、「つらい」とも言える。その成長は素晴らしいことだろう。けれど、言語化できるようになるほどに、自分の言語化できる範囲と、言葉にできる範囲の差に苦しめられた。

 

「もっとねぇ、気楽に生きていいんですよ。気楽に。琥珀さんは全てを受け止めて溜め込んで頑張ろうとするから、辛いんだと思いますよ」

 

大好きなOTさんからの言葉は、色々なことを思い出させた。

ここ数日、というか、ここ数週間、しんどい時間が長かった。けれど、それを無視して、無理して、頑張っていたから、また私はパンクしてしまったんだと思う。

本当は先生たちに会いに行って甘えたかった。でも、後期の授業が始まったのでそれどころじゃなくて、なかなかそれもできなかった。LINEで話していると嬉しいし楽しいけど、やっぱり寂しさも強くなった。退院してまずは高校へ行くことを決めた。大学の知り合いはうつが酷くなり少し休むことにしたらしい。その子だけに「実は、私もうつ病なんだ。今入院してる。お互いゆっくりできるといいね、帰ってくるの待ってるよ」と連絡した。うつ病を公言してはいないけれど、公言している彼女の気持ちが少しわかったような気がした。

気楽に生きるってなんだろう。ぼんやりと浮かぶのは、高1の2月、死のうとして失敗したときに先生たちから言われた「抱え込みすぎだよ、人生イージーモードよ」という言葉。ああ、そうだったな、ずっと言われてきてたんだ。私が見て見ぬふりをして、いつまでも辛い気持ちに浸っていただけ。ずっとずっと前から、先生たちは言っていたじゃないか。そう思うと笑ってしまった。

 

入院してから数日はひたすら寝込んでいた。鬱が酷くて、起きていると死にたい気持ちが強くなり、死なないためには意識を落とすことしか方法がなかった。眠れないくせに、必死に目を瞑った。担当医が来ても、OTさんが来ても、Nsが来ても、PSWが来ても、ずっと私は横になっていた。

気付けば点滴をされ、ぼーっとしながら流れていく点滴を見ていた。意識を保っているのが辛くて食べるのも面倒で、入院前は5日ほど食事をとらなかったりみたいな生活をしていたので、最初は食事が酷くストレスだった。でも経鼻栄養はもっとストレスだから、頑張って食べた。担当医に抗議の手紙を送ったりもしてみた。飲水量や食べる量より、私を見てくださいと。死にたくて入院してきたわけで、私は食べたくて飲みたくて入院してきたわけではないと。色々なNsと相談して、渡した手紙はそれなりに効果があった。泣きながら訴える力さえ私には残ってなかったけど、ちゃんと人に気持ちを伝えることは大切なことにまた気付くことができた。それに気付けた入院だから、よかったんだと思う。

大学は休んでいる。そろそろ3週間になる頃だろうか。約1ヶ月入院で出席を溶かして、欠席を重ねた。けれど、5回まで休める大学のおかげでなんとか保っている。あとは退院後1度も休まず11月、12月と冬休みを挟んで1月を頑張ればいいだけだ。そうしたら、また2月に入院して…またそんな日常が、始まるから。

のらりくらり生きていく能力には長けている。ずっとそうだ。紆余曲折経てなんだかんだなんとかなっている。大学もそうだ。前期も入院したけどフル単だったし、後期も入院したけどきっと全部単位は取れるはず。GPAはそれほど高くないかもしれないけれど、とにかく大学を通いきって国試に受かればいいのだから、それでいいのだ。少し成績への執着心の消えた自分に驚きつつも、これが成長なんだと考える。死にものぐるいで勉強をしてテストを受けて100点に近い点数をとって、成績はオール5で、そんな煌びやかな生活は長くは続かない。代わりに蝕まれたわたしの心はもう戻らない。それでも、今も、過去も、それでよかったんだ。そうして学ぶことが出来たのだから、よかった。過去を生きる私も未来を生きる私も、私なのだ。

 

疲れたなあ、と自覚できたこと。調子が悪くなる前触れがわかったこと。それが今回の入院で得たものだ。いつかは入院しないで進んでいく日々が求められる。仕事をしたいのだから、当たり前だ。実習もあるのだから、病院に依存したり、入院をし続けることはできない。私にとってここは通過点であって、ずっといる場所ではないのだ。いつか、いつか…きっと、巣立つ日がくる。それがいつになるかはわからない。数年では無理な話だろう。でも、10年、20年と進むうちに、なにかひとつでも変わるものがあればいいなと思う。そして、変わらないものもあればいいと思う。変わらなさに安心しながら、変わるものに適応していく、そんな生活がいちばんしっくりくる。

「生きていてよかった」とたくさんの人たちから言われたとき、安心した。私はまだ自分は死ななければいけないと思っているけれど、それに「こんなに優しくて賢い琥珀さんが自分のことを嫌いなのが不思議です」と言ってくれた先生。「なにやってんの!みんなの琥珀なんだからもっと自分大切にして」と言ってくれた先生。今は他力本願でいい。生きていて、得られるものはこれから得ていけばいいのだ。何かを得るために生きるのではなくて、得られるものがあるかもしれないから生きる。得るものはついで。おまけ。そんな考え方で、いい。

 

「死にたい気持ちが少しでも薄れて自殺未遂を起こすような状態じゃなくなる、それを退院の目安にしたいと思っています」

そんな私の言葉に頷いてくれた担当医と、今日、退院の話をした。今月中に退院したいからとわがままを言って、少し早いが10月31日を退院日とした。辛いけれど前に進んでいく。それが私だ。きっと、それは、これからもそう。また進んでいく。進むしかないから、進む。時には立ち止まりながら、大切な場所に立ち戻りながら。

 

変わらない日常なんてない。毎日毎日、変わらないようで、変わっている。OTを受けて自信をつけたり、完成を喜ぶ自分がいたり、回診があったり、Nsと何度も話をしたり。話しかけたり話しかけられたり退院したりして話す人が変わったり、自分が退院する番になったり。死にたい気持ちも消えはしないけれど少しは楽になったりもするのだ。

大丈夫、私ならきっと大丈夫。ほんの少しの勇気を得られた入院生活だった。また2月までさよなら病棟。

短いけれど備忘録。