匿名は何を守るか

いつだかの情報の授業でやった「インターネットは便利な反面、匿名により攻撃性が増す」だとか「ネットモラル」という言葉を最近よく思い出す。私はどちらかと言うと、リアルの世界に疲れてネットに居場所を求めて始めたTwitterだったので(不純な動機)、こういう人達に出会う機会は割と多かったりする。そういうとき、匿名でしかこういうことを言えないんだろうなと改めて思う。それは、直接(リプとかで)言ってこいよ!というわけじゃなく、例えば住所や本名が全て開示され、面と向かって言えと言われたらそういう人は黙り込むんだろうなとかそういう感じ。

でも結局のところ、そういう匿名で救われている人や憂さ晴らしをして毎日を生きている人もいるわけで、それを全て制限をかけて、ハイ綺麗になりましたって言うのもなんだかおかしな話な気がしてならない。臭いものに蓋をするじゃないけれど、匿名でしか言葉を発せない人を封じ込めてしまうのはまた違うんじゃないかなぁと。匿名性って意味では今の私のTwitterだってそうだ。リア友とかに見られたりはしてるらしいけれど、実際に私と話している人の半数が私のアカウントなんて知らない。ネットの中の、たくさんのアカウントの、そのたった1つ。それだけだ。

インターネットで「常識を弁えて、他の人のことを考えて」なんてやれと言われても難しいとは思う。特に、リアルに疲れてネットにやってきた人達にとってはそれが完全に守れる人と全く守れない、守る気などない人と綺麗にふたつに別れるから。リアルでそれをし続けて、周りの目を気にすることに疲れてやってきた人からしたら「なぜここでもそうしなきゃいけない、やっと自分が自分らしく出来る場所が生まれたのに」と思うのかもしれない(憶測でしかないけれど)。

 

病み垢 闘病垢 日常垢 趣味垢 勉強垢

色々なアカウントを見てきたし経験してきたけれど、結局どれでも見ている人数が増えるほどに「綺麗な言葉」しか使えなくなったし匿名性は薄れていくような感覚だった。自分が信頼していた人に裏切られるとかそんなの日常茶飯事で、仲良くしていた人が急に浮上しなくなっても死んでしまったのか、ただTwitterに飽きてしまったのかでさえわからない、そんな世界。それでもそれに依存するような理由が私にはきっとあるんだろうし、悔しいけれどインターネット、Twitterがなくなったら自分はどうなるのかわからない。今となってはこれがある前提で生活が成り立っている部分もあるから。

私が何よりも落ち着くのは共感してもらえること。1人じゃないと、思えるから。だけどそれには同じくらいの量の批判や文句をつけてくる人もいて、時々どちらを取るべきなのかわからなくなってしまうことがある。優しい言葉よりも悪意のある言葉のほうが記憶に残ってしまうのは確かで、それは人間がそういうものだから仕方の無いことなのかもしれないけれど少し悲しい。せっかく私に言葉をくれた人達の善意が全て沈んでいって(沈めていって)しまっているようで、申し訳ない気持ちにさえなる。

匿名じゃなくなれば、どちらの意見もなくなるだろう。共感も、批判も。だけど、それではインターネットは意味を成さなくなる。特に私のような使い方をしている人達からしたら、なんの意味もなくなるだろう。

Twitterでさえいい子にしていて質問箱などもっと匿名として守られた場で荒む人もいるだろうし、何度も見てきた。なんというか、苦しかった。そういう人たちに私は手を出すことが出来ないから。私をいじめていた人は、LINEのステータスメッセージにわざわざご丁寧に私の悪口を書いていたけれどそれを私が指摘すると「別に琥珀の名前は書いてないじゃん、勘違いしないで」と。でも、確かに書かれている悪口は私のもので(思い出だとかと一致するような内容が書かれていた)、そう言われてしまうと何も言えない。匿名は守られたものであるし、その守られたものだからこそ相手からしたら腹立たしいほどのものでもあるんだと思う。私はそうだった。それこそ、殴られているような感覚。それがインターネットでは誰かも分からない知りもしない人間にされるのだ。見知らぬ人に殴られていくような感覚、そんなの味わいたくもない。けれど私はTwitterも質問箱も辞めれることはないんだろうな。

 

「どうしてまだ続けるんですか」と何度か聞かれたことがあるけれど、むしろなぜ私が辞めなければいけないのかわからない。相手は未知の人間で、例えば返信をしなくなれば、ブロックをすれば逃げたとはやしたててくるような奴らだ。そんなのに対抗していたら疲れてしまう。きっと辞めるのが正解なんだろう。けれど、匿名でしか言葉を出せない人からの応援や優しい言葉に私は何度も救われたから。攻撃的な言葉よりも、もっともっとたくさんの優しい言葉は私を潤してくれた。それによって頑張ろうと思えたことも沢山ある。(良いことであっても悪いことであっても)面と向かって言うことが出来ないことを言える場面もまた匿名なんだと思うし、それをなくしてしまうのはなんだか乱暴だなぁと少なくとも私はそう感じるのだ。

だから今日も私はそれらを利用しているし、こうして文章を書いている。それで救われる人がいるなんて、私には思えなかったけれど実際救われたと言ってくれる人もいる。匿名で守られた場所で、大切な自分の意見をしたためながらこうして公表することが出来ることが嬉しいし私はこういう自分を見つめて反省したり進んでいくことの出来る時間は大切だと思っている。文章にすることで頭の整理をして、思考を周りにお裾分け出来るならそれ以上に幸せなことはないんじゃないかなぁ。