楽になる方法を模索する、決意。

死にたいとか生きたいとか、死んだらどうなるとかそういう哲学的なことは私には分からないしそれによって自死を選ぶことを辞めようと思えることはないと思う。けれど、最近の頭の中は「楽になるには」ーーが、巡り巡って居る気がする。それはスクールカウンセラー(以下、SC)から言われた「楽になる方法を探していこう」という言葉が原因だったと思う。

今まで死に関して(自分から語ることは無かったけれど、切迫した状態だったりするとだいたいは支援者、とりわけ周りの大人から話を始めてくれる)、「それだけは辞めてくれ」と言われることがほとんどだった気がする。間違ってはいないし、確かにその「死んだら全てが終わりなんだよ」という言葉にも頷けた。ただ、まぁ、その全てが終わり を期待している自分からしたら、あまり響くものではなかったかもしれない(必死にその言葉をかけてくれた人たちには本当に申し訳ないの一言です)。私にとってはその言葉の重みよりも、その言葉を発した周りの大人ーー自分の信頼できる人、自分を生かそうとしてくれている人が悲しむのが嫌だなぁ、とか、そういう感じ。それもまた、SCから言われた「自分の未来じゃなくて他人の未来を考えちゃうのは大変だね」なんて言葉は、自分の中で すとんと腑に落ちた気がする。

自分が死ぬのが嫌だとか、苦しいとか、怖いとか。多分そういうのじゃなくて、自分をここまで生かしてくれていた人に申し訳ないとか、最期までそういう考えなんだろうな、と。楽になる方法も、周りは「生きる前提で考えること」なのかもしれないけれど、私にとっては「まあ死ぬ前提で考えて、何か落とし込めるものがあったら、許せるものがあったら、生きていてもいいと思えるかもしれない」くらいの感覚。生きる前提で話を進めると自分の死生観とのギャップが激しすぎて吐き気がする、から多分これが自分にはあってるんだと思う。いつだかに同級生に言われた「ポジティブにネガティブだよね」って言葉も今なら「えぇ、よく私のこと見てるね」って返すだろうな、確かにそう。その言葉をかけてくれた彼はなんだかんだいちばん私のことを理解していたかもしれない。低空飛行でいれば、もし落ちたとしてもダメージは少ないだろうなぁとかそういう、打算的というかなんというか、そういうところが自分にはあると思うから、意を突かれた。

 

そもそもここに文章を書き留め始めたのも、Twitterじゃもし死んでログインしてなかったらいつか消えるんだろうな〜せめて何かしらは遺したいよなぁ、みたいな。死ぬつもりなのに逆に色々考えて楽観的で(というか、人一倍認めて欲しいーー自己顕示欲が強いんだろうな、と思う)自分のしたいことをしてからにしよう、と。そして自分のしたいことはなんだろうと考えたときに浮かんできたのは、こうやって今まで幾度となく救われてきた「言葉」を自分なりに、残すことなんだろうなと感じたからで。過去の自分は多分本気で他人のために生きていたと思う、節々でそう感じるときがあった。生きているのは他人を悲しませたくないからで、迷惑をかけたくないからで(とはいえ生きてても迷惑だろうなぁと思うと堂々巡りで溜息だったけれど)。または他人のために力になれる部分が自分にもほんの少しはあると感じられていたから。それは街頭募金のボランティアをしたり、保育園でのインターンシップ、ボランティアをしたり、弟(ADHD)のために色々な調べ物をしたりーーとか、そういうところで。まあそれも結局は自己顕示欲だとか自己満足とか偽善だとかなんだけれど、何もやらないよりはマシだしそれである種救われた部分がある、自分も、それを必要としていた人も。

ある意味、「死ぬって面倒だな。生きていても死ぬとしても迷惑をかけてしまうなら、いっそ生きていたほうがまだマシなんじゃないのか」と思っていた、と思う。死にたい人は視野狭窄で死ぬしか方法がないと、死が唯一の救いだと思っていると、どこかの専門書で読んだ気がするけれど私は逆で、自分を客観的に見つめる中でそう思った(死ぬこと自体は救いというか、自分にとっての助け(?)にはなると思っているけれど)。客観的、は自分にとってのキーワードで、ある意味ここまで客観的に物事を見ていなければ楽だったろうなぁとか、勉強してしまったからこそ触れなくてもいいような起爆剤に自分から触れ、拾い集めてしまった感じは否めないんだけれど。例えば、「それが当たり前だ」と思っていた幼少期は殴られようがなんだろうが辛くはなかった。それでも、しばらくしてそれらの勉強をするようになったり、周りの人から「それは虐待だ」と言われてからそれを 当たり前じゃない と自覚する。多分、されている当時よりもそれは苦しい事だった。受け止める、自分の中で理解する。その行為は、何よりも私を苦しめたのは事実だ。こうして少しずつ、様々なことを学び、客観的に自分を見ては、色々と気付いてしまってじわじわ心が負の方向に侵食されていくような感じもしたけれど、それもまた生き方であって、私なんだろうな、と思う。自分のアイデンティティについて考えることはよくあったけれど、なんとなく、もうそういう自虐的というか自分で自分を壊していくような、それでさえも自分なんだろうな、と。生きるのに向いてないなぁ、とよく思った。

やっぱり、いると思う。皮肉だけれど、生きるのが向いていない人は少なからず存在するはずだ、と自分は思っている。そして自分はそのうちの1人なんだろうな、とも。けれどそれは(実際そうかそうじゃないかとかは置いておいて)それを言い訳にしておけば、逃げ場を作っておけば自分を守れるから、というのもあるんだろうなと、そこまで考えていて。それこそまた一周回って客観的に物事を見るーーの弊害なんだろうなあ。誰だか忘れたけれど、誰かに言われた記憶がある、「これくらいの歳の子なんてみんなそこまで考えていないよ。思慮深いのはあなたの良いところだけれど、それがあなたにとっての生きづらさになっているのは事実なんだろうね」という言葉。そう、そうなんだよなぁ、そうなんだ。もっと適当に、鈍感に、それこそ「しんどい!」とかでいい。その言葉の意味とか、深さとか、そういうのはどうでもよくて、言葉にすることが大切なんだと思う。言葉にするまでに「その言葉が正しいのか」「本当にそう思っているのか」「この場でそれを言うのが適切なのか」「言う相手は間違っていないか」とか、よくわかんないこと考えてはつっかえてしまうのは如何なものかと思う。大人だねと言われるのは嬉しいけれど、逆に子どもでいられるのは今だけなのに。大人になってしまったら、子どもで許されはしない。今しかない特権である子どもを隠して大人に成ろうとするのはそうすることが正しいと疑わなかったもっと幼い頃からやり直したいなぁと思う部分がある。

周りの人は私が「生きやすくなるために」(もうそこが大前提)色々な策を考えてくれた。正直それが、怖かった。私にとって過ごしやすい環境になったとして、それでも死にたいと思っていたらそれまでの周りの人の努力は無駄になるし自分はきっと自責の念で押し潰されそうになるし、不幸をアイデンティティとするーーというわけではないけれど、不幸じゃなくなったとき、今あるものが崩れることが、または不幸じゃなくなったのに何も変わらない自分がいるかもしれないことが、怖かった。周りの酷い環境に甘えていた、それを言い訳にしていられるのが幸せだった。恵まれない子でいれば、辛くても、死にたくてもそれを理由にしていられるから。そんな考えをしているうちは変われないんだろうなと思い、最近は色々と考えを巡らせている。何より支援者と私の温度差がすごい、何故か私のことなのに私以上に手を尽くしてくれる人達が周りには沢山いた。それは幸せなことで、恵まれていることで、生きる理由になることだと思う。それでも死にたいと思う自分への「どうして」という気持ち、逆に恵まれているからこその葛藤(だいぶ贅沢な話だけど)はあるけれど。

 

まあ、それでも。いい意味で、変わった。他人のために生きていた人生を、少しだけ、ほんの少しだけ自分のために生きている感じがする、今は。

自分のために楽になれる方法を模索する

自分のために勉強をする、自分を知ろうとする

こんなの、過去の自分では考えられなかったから。勉強をするのは私を支えてくれていた先生たちが喜んでくれるから、または見捨てられない(見捨てるなんてことないって今ではわかるけれど)ためだったし、福祉や発達障害について勉強するのは弟や母親のため、または家庭の平和、穏便を保つため、だったし。

それを、自分のために生きる、考えるーーを、出来るようにしてくれたのは、私をここまで生かしてくれた支援者たちのおかげだと思う。中学の私を助けてくれたたくさんの先生たち然り、病院の主治医や市のカウンセラー然り。高校で出会った先生たちだってそうだろうな。ミリ単位でも「自分のために」を考えられるようになっただけ大きな成長だと勝手に自負している。それまでの自分は、わからなかったから。今まで他人のために生きてきたのに、急に自分の人生を考えるなんて無理な話だったし、そもそもそれまではそれが許されていたのに年齢が上がるにつれて当たり前に自分のことを考えなさいと言われることが苦痛だった(いや本当に、自分の人生を生きましょうなんて当たり前のことだしそりゃそうだ、って感じなんだけれど)。

「あなたが幸せにならなきゃ、あなたの人生なんだから」と言われても返答に困った。どうして今までは他人のために生きて、それが許されていた、それでいいと認められていたのに急に私がいちばん嫌いな私を中心に世界を生きなければいけないのか、わからなかった。というか、そんな自分のためなんかに生きるなら死んでやろうと思っていた。死のうとしたけど死ねなくて、結局先生たちと1日を過ごした日に、色々な話をした中で私は「私のこと好きな人が気持ち悪いんですよ。私でさえ好きになれない私のことを好きなんですよ。どこがいいのか、自分自身でも分からないような人間のことを好く人だと思うと、今まで仲良くしてきていたとしても気持ち悪いと思うんです」と言った気がする。驚いた顔をしながらも、「確かに理にかなってはいるな」とか、「そういう考えになるんだ」と先生たちは言っていた。自分を好きになれなければ他人を好きになることも出来ないーーという言葉も、あながち間違ってはいないんだろうなと思う。この世で私のことをいちばん嫌っているのは間違いなく私だから。そんな私のために、私がやれることを探している。もうそれだけで、今までとは全く違うし頑張ったほうなんじゃないかなぁと思うのだ。

 

私にとって、死は救済なのかはわからない。でも、少なくとも生きるのを放棄できる唯一の方法だとは思っている(当たり前だけど)。ふとしたときに「生きていればいい」とか「生きてさえいればなんでもいい」という言葉を思い出すけれど、そんな言葉は私にとって(というか、誰にとっても)瞞しでしかない、と思う。結局その人生を生きていくのは自分なわけで、何もしなくていい、なんでもいいなんてものは通用しない。生きていくためには仕事をしなければいけないし、人それぞれのバランスはあれど3大欲求を満たしてあげる必要もある。多分それが、私にとって1番面倒なんだろうな。食欲は、拒食と過食の繰り返し、不安になっては下剤乱用をしている私にとって切っても切れないけれど、1番向き合いたくないものでしかないし、睡眠欲は薬を飲もうとも上手く眠れない自分に自信を持って自分の必要なだけ取れるものですとは言えやしない。性欲に至っては性被害に遭ってから完全に停止しているどころかその話題になるだけでフラッシュバックが辛くて死にたくなる。あの時のことは正直今はあまり覚えていない、それこそ若干解離していた部分はあるだろう。だからこそ今こうして普通でいられているわけで、なんとか解離に救われて生きている部分も私にはあるんだろうな、と。3大欲求全てにおいて不十分で、バランスが悪くて、本当に生きるの向いてないなぁ〜と逆に面白い。いや、面白がるとこではないんだけれど。こうも自分を見ていると、ここまでよく生きてきたなぁと(自虐的な意味で)思う。頑張ったねとか、労わってあげなきゃとかそういうのじゃなく、「え、ウケる。」みたいな。なんというか、自分の人生を生きていると言うよりは長い長い物語を遠目から見つめているような。自分の人生だけれど、自分で歩んでいる気がしない部分がある。遠目から見ている傍観者、なかなか壮大な物語だなぁ、なんて、そんな気分。

3大欲求の話を続けると、楽になる を考えた結果、私は自由に眠れること(眠りたいときに眠れるだけ、苦労をせずにという意)と、普通に食事ができることが再難関だけれど私がいちばん楽になれる方法だろうなと思っている。ほぼ確実に今は叶わないことだろうけれど、眠れるようになればメンタルはある程度は安定するだろうし、というか嫌なことがあっても寝逃げしてやればいいし。何より普通に食事ができるようになるというのは私が1番渇望していることに違いないだろうから。ここ数年は普通の食事がわからないままでいる、過食と拒食、そして「姉(過食嘔吐)のようにはなりたくない」ーーと思うから。だから、いくら過食しても私は嘔吐しない。若干嘔吐にトラウマがあるのも理由としてはなくはないけれど(アサリの味噌汁をどうしても飲めなかった幼稚園の頃、食べさせられて吐いて、その吐いたものを食べさせられたことがあってなかなかに嘔吐への嫌悪感が拭えないのは事実としてある)。つまり楽になるってなんだろうと考えたときに、健常者(という言い方が正しいのかと言われると微妙だけど)のような生活をしたいんだろうなと。今のご時世、逆に普通っていうものがどれほど難しいのかと考えてしまうとまた話が変わってきちゃう部分はあるので割愛するが、やっぱり普通に過ごせるなら普通に過ごしたい。普通に過ごせていればある程度の生活の質は約束されていると思うし、そもそもそんなことを考えること自体が普通なのかどうかと言ったところなんだけれど。

 

意識せずに普通になりたい。

意味わからないくらいハードル高いことを言ってる自分に笑えてくるな。いや、でも、死んでやろうと思っているような人間が発する言葉でもない気がするけど、それでも。こうして、渇望することーーそれ自体が、生きる、なのかなぁと思うし、悩み続けること が確かに生きること、進んでいくことなんだろうなと思う。視野狭窄になっていて死にたいと感じているなら、進む必要は無いし、考える必要は無いから(無いというか、もうそんな方法残されていないと、死しか自分にはないと思ってしまうんだろうな)。それこそ、ポジティブにネガティブで、低空飛行で楽観的で、しばらくは色々なことを考えながら生きてみようと思う。突発的な死にたいは、もう付き合っていくしかない。そういう病気なんだから。でも、たとえ死ぬと決めたとしても、その選択に後悔しないように。全うに過ごせていたなら、それも1つの選択肢だろうと自分は思うから。

いつか死ぬまでーーその死ぬ、が自死になるならばあと1年半と少しだろうし、自死にならない、生きることを選ぶようになれたならばそれはもっと先の話、何十年後、の話になるだろうし、わからないけれど。でも、「楽になる」を模索するのは、しばらくは続けていこうと思う。