生き残ってしまった

周りの支援の暖かさと児相の逼迫具合が知れた1日だった。

 

紆余曲折あり母親との関係につかれ、もはや吹っ切れて「ああもう死のう。終わりにしよう」と思った。もうそれしか選択肢は無いと思った。いや、他にも選択肢はあるけれどこれが最善だと信じて疑わなかった(心理的視野狭窄ってやつだったんだろうな)。全てを終えることについて罪悪感もなかったし、本当に吹っ切れてた。もういいや、よし、今日で終わり、って。それくらい軽い感覚で、死のうとしていた。中学のときの担任ーー成人式で会おう、と約束をしていた他の先生たち含め、養護教諭にももう会えないこと 高校の先生とも友達とももう話せないことは少し後悔していた気がするけれどその選択をしたおかげで穏やかな夜を過ごした。もうそうしようと決めていたからこそ、楽になれた。

眠れないまま朝を迎え、学校へ向かった。薬を飲んで飛び降りようと思ったから、レボトミンをあるだけポケットに突っ込んで。だけど、2/13は公立入試の前日で、先生たちは準備に追われていた。人通りも気持ち多い気がした。飛び降りる場所を探して人気のないところを探し歩いた。教室のある5階から4階、3階。ふらふらと色々なところを歩き回りながら、1番人気がない階段の踊り場を見つけるも、窓があまりに高くて落ちれそうになく絶望した。そのままその場に座り込んで、何度も無心で腕を殴った。今までにないほど右手、右腕が腫れてしまった(しばらくは痣が残った)。

「あぁ、どうしよう、死ねない」と思った。じゃあ、授業を終えてから、駅へ行って次こそ飛び込もう、と。過去に失敗してしまったけれど、今の私ならやれると思った。普通に教室で過ごせばいい。今日は4時間だし、きっと耐えられる。それを決意してから、しばらくぼーっとしていた。今教室に戻ったとしても、いつもの友達のノリに着いていける気がしなかったので、着席時間の2分前に教室に戻った。そこからは友達からの言葉も全て無視してそのまま突っ伏していた(今思うとほんとうに申し訳ない)。全然明るくなんてしていられなくて、笑えなくて、だけど泣くことも出来なかった。ドアを開ける音がして、ふとそちらを見ると副担任が教室に入ってこようとしていたところだった。その後ろには担任と体育担がいてなにか話をしてるのが聞こえた。

 

中学の養護教諭(現在産休中)が、学校へ一報してくれていたので話はスムーズだった。1時間目が始まる前から担任に呼び出され、少しだけ話をしたところで堰を切ったように涙が溢れてしまい、授業に行けるような状態ではなくなってしまった。教室から出たとき(担任から呼ばれたとき)、数A担の先生とすれ違ったから、少し申し訳ないなと思った。そのまま、担任の担当教科の教室で話をしていた。担任が中学の養護教諭に電話をして、私は久しぶりに養護教諭と話すことが出来た(担任のスマホを借りて先生と話をした)。言われた言葉はたくさんで、覚えきれてはいない。私も泣いていて、ただ返事をすることしか出来なかったし。それでも、とても暖かかったのは覚えている。

 

「学校に来てくれてありがとう」

「助けを求めてくれて本当にありがとう」

「久しぶりにお話出来て嬉しいよ」

「声が聞けてよかった」

「もう頑張らなくていいからね」

「あとは周りの大人が頑張るからね」

「まだ息子抱っこしてもらってないんだから」

「また会えるまで、待ってるから」

「今はたくさん泣いてすっきりしようね」

「だいじょうぶ」

 

数多の言葉に涙は余計に出てきて焦った。その後担任と話して児童相談所に連絡をして、出来れば今日はそこで1夜を過ごして欲しいこと。もし、それが無理だったとしても、ギリギリまで家には帰したくないので、18時までは相談室で過ごして欲しいこと(入試前日で準備があることもあり、生徒は授業終了後校舎内立ち入り禁止になってた。それでも、管理職が今の状態を聞いて残っていていいと言ってくれた)を伝えられた。担任はまず電話をしてくると言って、部屋から出ていった。念を押すように、「部屋から出ないでね。動かないでね、変な気起こしちゃダメだからね」と言われた。ほんの少し、飛び降りようか迷ったけれど、正直泣いていてそれどころじゃなかった。そのまま座って、涙を拭って時間が経つのを待っていた。

次にドアが開いて、入ってきたのは私は教えて貰っていない、担当外の英語の先生。たくさんの話をしてきていた先生ではなかったけれど、バスでよく同じになるのでお互い顔は知っていたし、会話も交していた。そんな先生から、ある話をされた。数年前、自分の受け持っていた生徒が亡くなったこと。その生徒は、お風呂場でのてんかん発作で修学旅行目前に亡くなったらしい。その話をしながら、私に言った言葉があまりに印象に残った。

「綺麗事とか、正義感とか、そんなのどうでもいい。生きてればいい。私はまだこの子のことから立ち直れてないし立ち直れるとも思ってない。事情があって亡くなった子でさえこんなに悲しくて、もうこの子は戻ってこない。本当はもっと話したいことがあったのに。あなたがどう思うかとか、世間がどうだとかそんなのどうでもいい。私をこれ以上苦しめないで。命が消えたらもうそれで終わり、最後。どうしようもなくなる。それだけは辞めて。生きるなら、留年したって悲しいけど退学したって、少しくらいグレたっていいよ。髪染めたりピアスあけたり、テストで酷い点数取っちゃったりしたっていいよ。生きてりゃそんなの屁でもないから。ねえ、死なないで、生きて!あなたが大切なの!なんて上辺だけの言葉言わない。だって私はあなたの辛さをわかってあげることは出来ない。わかるよなんて上辺だけの言葉言われたくもないと思う。だから、私の事情を言わせてもらう。私はもうこれ以上苦しみたくない、これ以上、生徒に死なれたら、私が生きていけなくなるの。生きて。」

 

私の目を見て、ものすごい気迫で。その言葉を、その話を聞きながら私は泣いた。体育担当の先生が、過去に飛び降りで亡くなったこと生徒の話をしていたのを思い出したから。私にも似たような、大切な人を亡くした記憶があったから。他にも、色々なことがあったかもしれない。頭には色々と浮かんでいたかもしれない。だけど、全てが溢れてまた泣いた。わからない、もう何もわからなかった。それでもまだ死にたい気持ちが消えないのが申し訳なくて、または、そんな自分が恥ずかしくて、というのもあったかもしれない。ごめんなさい、ごめんなさいと思いながら必死に出ない声の代わりに何度も何度も頷いた。先生はティッシュで私の涙をゴシゴシ拭きながら、「次は化学担が来るから。もっと泣かせてもらいなさい」と言って去ってった。

 

次に来た化学担は、泣いてる私にもいつもと同じように話しかけてくれた。明るい先生が今はとても助かった。先生は教育相談コーディネーターをしていたことがあるという話は担任から聞いていた。確かにすごく話しやすくて、先生に「相談」をしたことは1度もなかったけど、少しずつ、ぽつり、ぽつりと言葉が出てきた。先生にも色々なことがあって、それを聞いたり自分の話をしたりした。自分が時々空元気で居ることも全て気付かれていて、どこまでもちゃんと見ているんだなと驚いた。空元気でいれば自分を守れるーーというか、そうしてなんとか自分を保ってきていたから、それ以外の方法が私にはわからなかった。だから、そんなの褒められたものじゃないと思っていた、けれど。

 

「○○は強いよ、それに優しい」

 

その言葉を、最初は私は上手く処理することが出来なかった。自分は優しくないし、強くもない。現にこうやって全てを死ぬ事で終わらせようとしていたから。だけど反論する間もなく、先生が言葉を続けた。

 

「こんな状況下で、弟や他の家族のことを考えてる。こんなに辛いのに、周りには迷惑をかけないように明るく気丈に振る舞ってる。俺はすぐ顔に出ちゃうんだよ。口にも出しちゃう。もうやだーってね笑 態度に出ちゃうからさ。どれだけの苦労を重ねてきたのか、少し話しただけじゃ計り知れないほど、俺からしたら、○○は本当にすごいよ」

 

少し止まっていた涙はまた流れ出して、気付けば1時間目の始まりからこの2時間目の終わりまでただひたすらに泣いていたなと思った。今の顔は、酷い顔だろうな。泣き腫らして、髪もボサボサで。そんな風に思った。

 

3時間目、担任は授業があった。私も3時間目は体育のテストがあったので初めは受けたいと思っていたけれど、泣き腫らした顔で戻る勇気もなければそんな気力も残っていなかった。担任に連れられ保健室へ行き、担任が持ってきてくれたリュックを抱えながら保健室の椅子に座った。少し話したあとに、ベッドに移動した。眠れるわけでもなく、ぼーっと天井を眺めていたら養護教諭が横について座ってくれて、その1時間はベッドで横になりながら養護教諭と話をした。

4時間目は相談室(保健室の近く)に移動して作業をしていた。先生がくれた、英語の単語の意味から連想したイラストを描く課題をやった。私の隣には必ず誰かしらの先生がついてくれていて、少しだけ話をしながら、作業をしたり、止まったりを繰り返した。それは、担任だったり、学年主任だったり、学年付きだったり、教頭だったり、世界史担だったり、数A担だったり、体育担だったりした。私を1人にしないでいてくれたのは本当に助かったし、どれだけ素晴らしい学校に来たんだろうなと思った。正直この時の自分は自制が効いていなかったし、誰もいなかったら飛び出して駅へ向かって飛び込んでいたかもしれない。誰もいないときを見計らって、飛び降りていたかもしれなかったから。だから、10分以上1人になることがないくらい、ずっと誰かが近くにいてくれたことが嬉しかった。

お昼は食べる気がなかったけれど、担任がお金を出して1日授業のなかった世界史担が買ってきてくれた。想像以上に重いラインナップで職員室での1年学年団からはかなりの酷評だったそれらを見たとき驚いてしまったけど、世界史担らしいなとも思った。後に学年主任の言った「色々とアウトだし軽いものをって頼まれた趣旨は無視してるけど、ネタとしては最高だね。お腹は満たせないけど気持ちは満たしたよ」って言葉には笑ってしまった。めちゃくちゃ面白かったなぁ、死んでしまっていたら、これを味わうこともなかったんだろうな、と思ってなんだかまた泣きそうだった。


f:id:r__ty:20200215002727j:image

 

しばらく世界史担へのパンいじりは続いて、数A担が「今日で終わると思わないでくださいね。大丈夫、この学年団はあと2年続きますから」。体育担が笑いながら「もしまたこういうときがあったら、間違ってもアイツにはもう行かせないから。俺と(数A担)で行ってくるから安心してな」と言う始末で、とにかく、ひたすらに、ずっと笑っていた。そして、その、あと2年ーーにも、私がいるんだなと思うと嬉しいようなむず痒いような、よくわからない気持ちになった。

真面目な話もしたはずだけれど、大半は笑っていたと思う。気が紛れたし、視野が広がった。一時的なしんどさからは抜け出したと思う。きっと先生たちはそれが目的で、暗い話ばかりだと気落ちしてしまうとこうして笑わせてくれていたんだろうな、わからないけど。入試前日、忙しいはずなのに本当に迷惑をかけてしまったなと思うけれど、ごめんなさいじゃなくてありがとうをたくさん伝えられたのは良かったな。

 

割と有益なことからどうでもいいことまで聞けた気がするので、一応メモをしておく。

 

  • 児相はネグレクトとかの案件で手一杯
  • 自己肯定感の話、それぞれのパーセンテージ
  • 得意、不得意と趣味の違い
  • 自分に向けられる好意についての考え方
  • 自分のことをどう思うか(自己イメージ)
  • アスリート気質のストイックさはいいか悪いか
  • 失敗が許されないと思うけれど本番に弱い自分
  • 筋トレが続く人は自己肯定感が高い
  • 適当はどこからが適当なのか線引きが難しい
  • 「頑張る」と効率の話
  • 牛肉と豚肉の違いと魚の種類の話
  • 消費期限と賞味期限
  • 論理的思考で自分の話なのに客観的に話してる
  • Amazonプライムビデオ観て過ごそう
  • 体育担による飲食の重要性の力説(飲み物飲め)
  • 俺ゲイバーでめっちゃモテるよ By 体育担
  • 食に無頓着な先生たちの話
  • 養護教諭と体育担は考えが私より
  • 世界史担と数A担の自己肯定感の強さの話
  • 「嫌いな人はいない、関心0%はたくさんいる」
  • 「信頼しても100%にはならない、1人もいない」
  • 自己肯定感が低いと褒め言葉を認められない
  • 数A担がいつも体調悪いのは食生活のせい
  • 毎日1800~2000kcalは摂取しろ(無理)
  • 先生の自信は私たち生徒によって作られる
  • 自己肯定感低くても生きてはいけるがしんどい
  • 上手な休み方って結局のところなんだろう?
  • 先生たちへのイラストオーダーで稼ごう
  • 1番描きやすい顔は世界史担(線だけで描ける)
  • 先生たち今これで給料発生してるんだぜ
  • 体育担は大半が脊髄反射だから信用しなくていい
  • 体育担が面接官だった高校入試(1年前)の話
  • 先生たちの車事情

 

 

記憶に残ってる会話もちょっと残しておきたい

 

 

(相談室入ってきて)

数A担「あーっまってまじで!俺の腕時計ズレてる!」
私「今○分…」
数A担「まじ!?」

体育担「お前なにしてんのマジで」
数A担「俺の時計1分34秒ズレてたんだわ、秒針0になった瞬間リセットするから待って」
私「俺と○○が深刻な話してたのになんなのお前は」
数A担「いやほんとごめん笑笑」

世界史担「お!○○!さっきぶりやな!」
私「わ、こんにちは」
体育担「お!(世界史担)!いや、センス無!パン!」
世界史担「いや、もうその流れは終わった」
体育担「これっ……無!」

体育担「○○、この状態で入試休み中どうしようなぁ」
私「もうどうしたらいいのかわかんないよ笑」
体育担「とりあえずさぁ…先生達みんなで夜逃げする?」
私「夜逃げか〜笑」
体育担「今なら俺らなんでも出来そうじゃね?」
私「うん笑」

体育担「ちょっと、色々と作戦練ろう」

体育担「○○のこれからの1週間プランについて話し合ってるのにどんどん脱線してくな」
私「そうですね笑」

体育担「考えたんすよ。この休みの間に○○がどう生きてくか、いかに母ちゃんに会わずに過ごせるようになるかって」
教頭「なるほどね!…プ、プライムビデオすごいね」

数A担「朝昼ごはん11時か〜」
体育担「起きんの遅くすれば会わないかなって」
養護教諭「朝食べる気にならなかったら、白湯いいよ。私毎朝レモン白湯飲んでるよ」
体育担「なに?レモンサワー?」
数A担「朝からレモンサワーはまずいでしょ笑笑」
養護教諭「レモン!白湯!未成年に飲酒薦めませんよ笑」

数A担「○○ (体育担)先生の車知ってる?」
私「あーあの、めっちゃ青いやつ」
体育担「そう、めっちゃ青いやつ笑」
数A担「あれ落書きしていいらしいよ」
体育担「ほんとダメ笑笑」
世界史担「○○なら許される」
数A担「道具は尖った石じゃないとダメで…」
世界史担「ちょ今度書き行こう ○○なら絶対に怒られないから、一緒にやろ笑」

担任「○○さんは手の抜き方がわからないんだよね多分」
私「手を抜くって、だってそしたら全部なくなっちゃう」
世界史担「そう思うんや、ストイックやんな…」
体育担「まじでさ〜もっと気楽に生きようぜ○○。人生イージーモードよ」

私「テスト点世界史1回すごく下がったじゃないですか、体調不良続きすぎて休んでばっかで授業ついていけてなくて」
世界史担「前回の期末かな?そうやったな、でも平均くらいだったろ?あのテスト、前回に比べて平均点ガーンと下がっててん。」
私「けど」
体育担「休まなきゃ取れたっしょ?」

数A担「それは○○のせいじゃなくて気圧のせいじゃん」
私「でも休む選択をしたのは私ですよ」
世界史担「ほんと…アスリート…」
体育担「ちょっとさぁ、○○筋トレしようよ。多分そのストイックさで筋トレしてれば俺たち超えるよ笑」

 

 

順を追ってまとめたいことはまとめて別にあげたいと思うけれど、こんな感じで話をして、本当にくだらない話から真剣な話まで色々。それで、結局19時半まで学校に居た。先生たちにお見送りされながら担任とバスでいつも同じ英語の先生と3人でバスで帰った(他の先生たちは車)。最寄りのバス停で担任も降りて、家の近くまで送ってくれて帰宅。学校で授業も受けず10時間半先生と話して1日が終わった。初めての連続だった1日はすごく大きな私にとっての勇気になった。帰る直前に体育担に投げて渡されたディグダのキーホルダー。「お守り。2/21にちゃんと手渡しで返してね」って言葉はあまりにも響いた。いつだかに先生に話した「約束があるとそれを果たすまで死ねないじゃん、そういう性格だよね、てかみんなそうだよね、目的があるから人って生きてるんだと思うんよね」って言葉をまだ覚えていてくれたのかな、それとも無意識なのかな、無意識ならすごいなぁ、とか色々なことを思った。もし、今度こういうことがあったなら特別じゃない日であってほしいと願う。いや、こういうことがないのが1番だけれど。

 

ちなみに、児相の話。担任が連絡を入れた時点では「無理」の即答だったものの、私の情報はかなり共有されていたらしい(中学のとき生徒指導の先生から連絡したもんなぁ)。〇〇高校の職員のものです、と言った時点で私の名前があちらから出てきたそうだ。すごい…。ただ、ネグレクトだとかそういう「重要度の高いもの」しか対応できないと言われたそうだ。担任が怒っていた理由はわかる、「自殺しようとした、このまま家に帰れば自殺する可能性がある」のに、「重要度が低い」と言われているのと同じだから。もちろんそれを聞いた副校長も憤慨してもう一度児相に連絡を入れてくれた。どれだけ恵まれているんだろうと思いながらも「ああ、これは無理だろうな」と感じた。結局は「そういうのは病院で」みたいな感じになって、まあでも入院なんて出来ないし、無理だよなぁ、って感じだった。

福祉の限界と周りの優しさに触れた1日だった。苦しいことも涙で流しきって、くだらない話で心のエネルギーをチャージして。担任からもらった電話番号を見つめたり、体育担が貸してくれたお守りを握りしめたり、中学の養護教諭とLINEをしたりしながら過ごした1日目。あと6日、頑張らなきゃなぁ。きっとものすごく長い約1週間が始まる。