踏み出す勇気を

今年中学・高校・大学・専門学校を卒業したフォロワーさんへ。

 

いつもよりも文量は少ないけれど、Twitterに投稿するには長文だったので、私と同じく節目を迎えたフォロワーさんに向けてブログを書くことにしました。一般人が烏滸がましいかもしれませんが、それでもおめでとうとありがとうとお疲れ様を伝えたかったので、これを私のお祝いの言葉とさせていただこうと思います。

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少しだけ、昔話をしてみる。

 

「3月は別れの季節 4月は出会いの季節」

 

3月に別れを嘆いた私が書いた日記に、担任が付け足してくれた言葉。あの時は確かに中学が私の全てだった。学校がなくなってしまったら、私には何もなくなってしまうと、確かにそう思っていた。というか実際あの時の私には学校しか居場所がなかった。その学校でさえ、私のことをいじめていた人がいて、居心地が悪くて、息がしにくい瞬間も確かにあったけれど。それでも、どれだけ辛くても、卒業する日は来る。義務教育だから、どう足掻こうが卒業は卒業だ。あの時の私はどうしたかと言うと、別れを恐れて自分から距離を置いた。そうして身を守った。切った腕が、少し寂しかった。保健室に行くたびに養護教諭がいつもリストカットの手当をしてくれていたから。「切ったら保健室においで、手当しよう」と言われても、自分から切っただけで保健室に行くのはなんだか行きにくくて、いつもいつも体調不良で保健室に行ったついでに消毒をしてもらっていたけれど、あの時間が、あの行為が、私にはとても大切だった。カウンセラーから見せて欲しいと言われても首を振った自傷痕を、養護教諭にだけは見せられた。養護教諭とのお別れももちろんだけど、担任や、ほかの先生たちとのお別れも悲しくて、寂しくて、怖かった。居場所を、根強く、中学校にだけに築いていた私は、それを全て失う恐怖に耐えられなかった。依存が一点集中だったから。

本当ならもっと話す時間があったのに、それから逃げた。だけど逃げたからこそ、怖かった卒業を乗り越えることが出来た。卒業式は弟の喘息の悪化で、すぐに帰らなければ行けなくて、写真さえ1枚しか撮れなかった。

唯一卒業式当日に小学校の保健室に行き、ずっとお世話になっていた先生からの「卒業おめでとう」が聞けたのは、本当に本当に嬉しかったけれど、中学とのお別れはあやふやになってしまった。少ししてからの離退任式でステージの上に立つ担任や大好きだった先生たちを見ながら、走馬灯のように思い出が頭に浮かんだ。毎日のように話をしてきた先生たちと「成長して、またいつか会いましょう」とお別れをして3年が経った。どうしようもなく不安だった別れにも、適応する他なかった。

少し酸っぱい思い出を頭に浮かべながら、思いを馳せる。気付けば、3月になっていて、私は高校を卒業していた。中学と同じくらい、いや、もしかしたらもっともっと強く、不安に思っていた、高校卒業。

私はこんな日が来るとは思っていなかった。今でさえ、実感がわかないくらいに。なぜなら、自分自身で「私は、卒業するまでに死ぬんだろうな」と思っていたからだ。思い出を胸に、大切な人からもらった言葉を忘れないように、現在が過去になる前に、日常が思い出になる前に、死ぬことが、自分にとっての救済だと思っていた。Twitterを見ていると同じように考えている子も多かったと記憶している。

学校を卒業したら、頼れる人がいなくなったら、死んでしまおう。

私はある意味、保険をかけていたんだと思う。怖かったのだ。自分の記憶力は頼りにならないし、そんな私が、大人になってしまうことが、毎日の記憶が思い出になってしまうことが、怖かった。同じように卒業を恐れていた人達は、私に近い考えだったと思う。

私たちは怖かったんだ。ひたすらに、怖かった。難しいことを考えていたわけじゃなくて、ただそれだけだったんだと思う。

 

当たり前に時間は過ぎて、私たちは卒業する/した(中学だと、まだ卒業してない子もいるのかな、高校はだいたいもう卒業式を終えたような気がする)。

けれど、それですべてが終わる訳ではない。人生は点ではなくて線だ。卒業したからと言って人生が終わる訳ではないし、全てに終止符が打たれる訳でもない。もちろん自分で終わらせてしまえばそこまでだが、私たちの人生はここで勝手に終わることはない。今まで頼ってきた人達が死んでしまう、いなくなってしまうこともない。少し離れた場所にはなるけれど、ずっとあなたを想っている。あなたを忘れることはない。そんな簡単に、記憶は消えない。薄くなることはあろうと、たくさんの出会いが、思い出が、人生の基盤になる。そう、今の私は考えている。

 

私が中学校の頃大好きで頼り続けていた養護教諭は、公認心理師の資格を取るために今勉強をしている。その原点は、私や色々な困難を抱える生徒との対話だったそうだ。私たちが、人の人生に影響を与えることもある。生きている限り、誰とも関わらず、頼らず、生きていくことなんてできない。そして、人間は相互的に作用しあって生きていく。中学を卒業して、高校を卒業して、大学や専門学校を卒業して。それでも、きっと何かしらに頼りながら私たちは生きていく。それは人ではないかもしれないし、もしかしたら過去の記憶や、思い出になるかもしれない。でもそれに縋って過去に足を突っ込み生ぬるい生き方をしているなんていうことはなくて、それが、その記憶が、あなたにとってあまりに大切な人生のスパイスだったというだけだ。ただ、それだけ。

 

私はここまで生きてくれたあなたに、感謝を伝えたい。辛いのに、苦しいのに、ここまで生きていてくれて、ありがとう。一緒にこの節目を迎えることが出来たことが、本当に嬉しい。

きっと一筋縄ではいかない人生は、この節目でもう終わりなんてことはない。これからもしんどい思いをすることもあると思う。けれど、それでも、今を生きているあなたを、あなたが頼り続けてきた人達は、きっと誇りに思っている。きっと、きっとそうだ。誰かの大切な人になれるような人達だ、考え方はきっと似ている。私はたくさんの優しさに触れながら、その優しさを体に染み込ませていったから、これだけは信用して欲しい。あなたを生かし続けたことを、先生たちは後悔していない。ここまで努力し、生きてきたあなたたちが、これからも生き続けてくれることを、望んでいる。

死にたくなっていい。消えたくてもいい。それを口に出したって、時には行動してしまったって、いい。それでも、生きていてくれればいい。生き延びてくれれば、それでいい。それだけでまるもうけだ。力を抜いて、今は時の流れに身を任せて。時々目を瞑って、思い出の温もりを感じて。そうして生きていければ、いいんだと思う。

 

私と一緒に卒業してくれて、ありがとう。

私と一緒に生き続けてくれてありがとう。

 

これからの新生活を応援しています。