大人になるしかなかったあなたへ

「今から、点滴をします。あなたは今、いつ倒れても可笑しくない状態です。せめて、水だけは入れさせてください」

 

死にたいと嘆いた先に、最終的に行き着いた精神科閉鎖病棟の中で、私は貧血や脱水、栄養失調の治療を受けていた。なぜ私はここにいるんだろう。こんな内科的治療を受けるために、私はここへ入ったんだろうか。頭の中が色々な考えで渋滞していた午後2時半。点滴のルート確保のために私の部屋へ来たNsは、何度か針を指しては抜いてを繰り返したあとに、難しそうな顔をして私の顔を覗いた。

 

「血に元気がないなぁ、血管には(針が)入ってるはずなのに、逆血が来ない」

「……すみません」

「どうして謝るの、何も悪くないよ。飲めないのもきっと理由があるんやろうし」

「…理由が、あったとしても。迷惑をかけてることには変わりがありません。本当にすみません。水くらい自分で飲めよって話ですよね」

「ーーあなたは大人になるしかなかったんやな」

 

なんの脈略もなく言われた言葉。そしてその言葉を言ったあと、どう返そうか私が悩んでいるうちに、また間を持たずにNsはじゃあチクッとするよ、いきますと言って、私の腕に針を指した。ルート確保が出来て、テキパキと点滴を流し込み準備を終え、「じゃあ、また様子見に来るけん」「今はゆっくりしときな」と言って、部屋を出ていくNs。その間、私はずっと黙っていた。どう言葉を発すればいいのか、わからなかった。

夜まで長引かないようにと滴下速度は今まで内科で受けてきたよりもずっと早くしてもらっていて、腕から冷たいものが入っていく感覚が、確かにあった。Nsの言葉に心を鷲掴みされた私は、その感覚だけを感じて、静かに目を瞑った。

 

あなたは大人になるしかなかったんやな。

なんだか聞き覚えのあるその言葉は、どこか懐かしかった。そう、確か中学生のとき。養護教諭や、生徒指導の先生に言われた言葉と重なったんだと思う。私と向き合って、「あなたのされていることは虐待です。児童相談所へ通告をしたいと思っています。○○さんが嫌がるならしないけれど、僕達は○○さんに楽になって欲しい」と言った先生に私は、「他の家族に迷惑がかからないなら。被害を被るのは、私だけでいいんです。お母さんは弱い人だから、これ以上追い詰めないで欲しい」と答えた。そのときに、先生はとてもとても悲しそうな顔をして、Nsと同じように「あなたは、大人になるしかなかったんだね。優しすぎるよ、13歳なんて、もっと、もっと自分勝手なことを言っていい年齢なのに」と言っていたんだ。凍りついた私の目を、先生たちはじっと見つめていた。あたたかい記憶がぼんやりと私の中に蘇ってきて、幸せな気持ちを感じて、私は目を開いた。病室の天井と、ぶらさがった点滴。何も状況は変わっていなかったけれど、忘れたくなかったはずの記憶を忘れかけていた自分への情けなさを感じると同時に、私は、愛されていたんだなと、そう感じた。

 

数週間は、24時間点滴をしていた。それから少しして、夜に点滴をロックして、留置針はガーゼで包み、また朝になったら点滴を入れるという風に変わった。数日に1回留置針は交換しなければいけなかったし、点滴ロックも生食を流し込んでロックをする医療行為だったので、私は1日数回はNsと2人きりで話をする機会があった。

最初に点滴を成功させたNsはよく私を気にかけてくれていて、部屋引きこもる私にエンシュア(栄養剤)やお茶を持って、顔を出した。「話をしていると、大人びてるけど。それでも、17なんやね。ほんと、そんな感じしないけどさ」と、私のベッド柵に取り付けられた年齢の書いてあるネームプレートを見ては、ベッドに座る私と目線を合わせるために、ベッド際にしゃがんだ。

 

大人になるしかなかった。それはきっと、私の身を置いている環境が私をそうさせてしまったのだろう。それでも、私はずっと、環境のせいであれ、自分自身のせいだと認知を歪めて物事を捉えていた。私が全て悪いんだからと思っていれば楽なように見えたけれど、それは本当は大切にされるべき心を軽視して傷をえぐる行為でしかなかったのかもしれないと思う。

私は、私を好きになりたくなかった。私にとって、私を忘れてしまうことが、1番私を守れるように感じていたから。そんなこと、有り得ないのに。本当は、誰よりも私が私自身を大切にしてあげなければいけなかったのに。それが、私にはできなかった。怖かった。自分を認めてしまうことで、自分がいなくなってしまうような気がしていたのだ。それにやっと気付いた頃には、ボロボロの腕に点滴が繋がり、精神科病棟のベッドの上でぼんやりと天井を見つめていた。…ふと、虚しくなった。でも、やっとやっと、気づいてあげられたんだ。私は私を殺さずに済んだ。ずっと私の心があやふやだったのは、私が私の心を軽視していたからだったのだ。

 

「私は、私が嫌いでした。」

「あなた自身が嫌いっていうよりは、”弱い自分”が嫌いな気がしたよ」

「…そうだと思います、私は、強い自分でいたかった」

「そうだね。そうだと思う。」

「強い私なら、生きられると思っていたんです。でも、違った」

「でも、ここに来てまで生きているあなたは、とても誇らしいし、強いと思うよ」

 

点滴準備をしながらNsと小さい頃を振り返った。誰かに傷つけられるときの私はいつも弱かった。弱い私は私を苦しめたのだ。

大人になる。それは、弱さを見せずに、強くなること。いや、強くなるように”見せる”ことだと思う。大人になるしかなかったあなたは、弱さに幾度となく傷つけられてきたんだろう。弱さは武器になることにも、あなたは気付いている。繊細さは、強さだ。言葉はいつだって両価性がある。弱さの裏には強さがある。それでも、本当は、弱さ自体を認めてくれる人がいることが1番大切なのだ。弱さを強みに見せて、頑張る前に、あなたは弱いままでいいのだと、全てを引っ括めて受け止めてくれる人に、弱いままの自分を見せること。傷付いた心を、愛してあげること。自分自身を認めてあげるのはもちろん自分だけれど、自分が立ち直るためには、他者の力が必要だと思う。他者との触れ合いで人は本当の強さを得ていく。セラピーは内容よりも、その関係性が、安心して自分の話をして、その話を受容してくれる人がいるという安心感が、大切なのだ。愛の疑似体験。セラピーは愛ではないけれど、お金でそれに似たものを切り売りしている。いつかその関係性を育む中で、本当の愛に出会うために。セラピストとクライアントの関係は、それまでの延命処置でしかない。

あなたはあなたのままでいい。弱くてもいい。強がらなくていいし、自分を認めてあげて欲しい。それを、私は伝え続けたい。それが、私から軽視されてきた私自身を、救うことでもあると思うから。投影だと言われるかもしれない。けれど、それでもいい。自分が救われなければ、他者は救えない。自分が幸せにならなければ、人を幸せにすることは出来ない。だから、これからも、私は私を認めてあげられるよう、自分と向き合う。そして、あなたが自分自身と向き合う手助けを、していきたいと思う。あなたを労い、あなたの努力を認める存在でいたい。弱いままでいいと、伝えたい。

 

「生きているだけでいい」。

高校のSCと、この言葉について議論したことがある。生きているだけでいいなんて、そんなことないんじゃないかと。都合のいい言葉なんじゃないかと。だって、生きているだけでいいなんて、実際はそうもいかないのだ。生きてくためには勉強をしなければいけないし、お金を稼がなければいけないし、息をして、毎日を生きなければいけない。何もせずに生きているだけでいいなんて言葉は、まやかしでしかないのだ。「生きているだけでいい」と言うのは「(今は)生きてるだけでいい」と言う意味であって、結局そのまま生きていくとなると何もせずにただ生きているだけなんて言うのは難しい。人間だから。ちゃんと動かなければ困るから。そもそも生きているだけでいいって言うのも難しくて、その”生きること”が人によってはめちゃくちゃに難題だったりする。

「病院勤務だった頃は確かにそうだったんだよ。生きていればそれでよかった。でもSCを始めて、生きているだけではダメなことを知った。生き続けるためには、問題を解決して前に進まないといけないし、日常生活を送っていくためには、生きているだけでいい、なんてことはない」というSCの言葉に、胸を掴まれた。そうだと思う。ただ、生きてるだけでいいなんて、そんな無責任な言葉はない。

それでも、私は、あなたに生きていて欲しいから、そう伝える。その言葉のしんどさを知っていながらも、私にはかける言葉が見つからないから。あなたが消えてしまえば私が悲しいから、生きていて欲しい、ただ生きているだけでいいからと、伝える。