発達障害/自傷行為(と自死)/HSPについての論文や書籍を読み漁っている。社会福祉制度/精神疾患/虐待/貧困なども勉強しつつだけれどそこはまだ浅いので、夏休みが終わる前にでもまたまとめる。貧困と虐待、発達障害や精神疾患、それに加えて社会福祉制度も全て繋がりが強いと思っている子である程度理解をした上でまた全体的に整理しようと思う。
インプット出来てるかの確認の書きだめなので多分すっごい読みにくいです、悪しからず。
自分がすごく興味がある分野。というのも、児童養護施設に入所している子供のうち37%に心身の疾患があるという厚労省の調査結果がある。内訳は知的障害(14%)が最も多く、自閉症スペクトラム(9%)、注意欠陥・多動性障害のADHD(9%)、反応性愛着障害(6%)の順。児童養護施設義援金募金を募る街頭募金活動をしていたこともあり、直接児童養護施設の施設長の方と話をする機会が2度ほどと、児童福祉に携わっている方と話をする機会が数回あったけれど、口を揃えて「実際はもっと(グレーゾーンの子が特に)多い」と言っていた。特に多いのは多動や衝動性を呈するADHDのような行動をする子。ただ、愛着障害含め虐待などの不適切な養育環境に置かれている子どもはそういう行動をしやすい部分があり、病名をつけるのが必ず正しいかと聞かれると分からない、とも。確かに児童養護施設に入所している子どものうち66%に虐待経験があることを考えればそうだよな、と納得した。またはその発達障害など自体が育てにくさに繋がり、ディフィカルトチャイルドの子どもを虐待をしてしまうという場合もあるので切っては切り離せない問題だと思う。
将来児童指導員になりたいと思い始めた頃から学ぶべき分野だとは思っていたけれど、現場の声を聞くとかなり多いんだなぁと実感した。それに加えて自分の弟がADHD・LDであることもこれらを勉強するようになった要因だと思う。論文は同時進行で読みつつだけれど本については読み終えたものも数冊あるのでまとめておく。
・発達障害の子どもを伸ばす 魔法の言葉かけ
・LD(学習症) 学習障害の本
・赤ちゃん〜学齢期 発達障害の子どもの心がわかる本
・イラスト図解 発達障害の子どもの心と行動がわかる本
・発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち
元々購入していて読み直したのも含めて最近読んだのはこの5冊。「ふつう」と「発達障害」に境界線はないということ、その子と支援を結びつけるためのひとつの方法として、「発達障害」という診断名があること。これは特に頭に残った。最近やたらと愛着障害、発達障害という言葉が蔓延している気がしてならない。実際に大事なことは発達障害であるか否かよりも、本人の苦痛をどれだけ軽減できるか、そのための環境調整の方法を考えることだと私は思っているし、発達障害という言葉が貰えたから何かが変わる訳ではない。なおさら、通院をしていない、自己診断での安易な判断は危険だろう。思春期のうちは特に、私はこれかもしれない と思ったらだんだんと症状がそれに似てきてしまう、または他の病気や障害が隠れているとしてもそれに気付かない可能性がある、かなりリスクの高い行為だと感じる。愛着障害や発達障害だけでなく、環境調整による苦痛の軽減の必要性は疾患全般で言えることじゃないかと思う。
・ワーキングメモリと発達障害
・聴覚優位で書字運動に困難を示す発達障害児への漢字学習支援
論文に関しては完全に弟寄り。ADHDの弟について調べるついでに見てたものなのでここからはそんなに学ぶというよりは実践って感じ。
本のなかでも自分にはなかった感覚やなるほどなと改めて思ったものを何個かまとめておく。
- 子どもを理解する道しるべとして、「気づき→仮の理解→仮説→対応」。
- 二次障害は内在化(うつや不登校やひきこもりなど)と外在化(家庭内暴力や非行など)
- 「見る」「聞く」の得意不得意の見極めにより支援方法を変える(視覚的に伝えるか、聴覚で伝えるか)
- 叱る、罰する、がんばらせるでは周囲を困らせる行動は改善しない
- 学習方法や生活での工夫を心がける
実際どうかはわからないけれど、個人的に二次障害を防ぐにはまず早期発見・早期介入が大切だと思う。そもそもに発達障害ということがわかっていなければ「叱ってやらせようとする」ことも多いんじゃないかなと。それを減らすというか、そもそも養育者に発達障害という概念に気付いてもらうのは大切なことだと思う。周りとサポート(環境調整)によって、早期から生きやすい環境にあればそれがない子どもに比べればダメージを極限まで少なく出来る可能性が高い。WAISなどの検査によって、得意不得意がわかればもっと(例えば視覚優位であれば言葉よりも図や表を用いての説明など)いい環境を作っていけるのではないかと思う。気づきが1番大切な部分であるけれど、そもそも発達障害を知らなければ発達障害を疑うこともないので発達障害という可能性を頭に入れておく必要はある。ただ医者でもないのに発達障害と決めつけるのは違くて、支援に結びつけるまでの役割を担う、継続的な関わりを持つことが何より大切なんだろうなと思う。これは発達障害だけじゃなく、虐待などについてもそうで、知らなければ疑えないし、知っていることで出来ることはかなり増えていくんだろうなあ。
基本の自傷に至るプロセス、アディクション(嗜癖)としての自傷、ボディモディフィケーション(身体改造)としての自傷、自傷行為と絶対的居場所欠陥状態、自死と自傷の関連性についてひたすらに(特に松本俊彦さんの)本や論文を読み進める毎日だった
・自分を傷つけずにいられない 自傷から回復するためのヒント
・自傷行為の理解と援助
・「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか
本はこの4冊。4冊目はどちらかと言うとそこまで自傷行為ばかりの内容ではないが、援助方法の理解は自傷行為根本の理解に繋がるということで一応掲載。
・青年期における 『故意に自分の健康を害する』 行為に関する研究
・自傷行為の実態について
・母からの負情動・身体感覚否定経験が自傷行為に及ぼす影響: 解離性体験尺度 DES-Ⅱ との関係
・自己切傷患者における致死的な 「故意に自分を傷つける行為」 のリスク要因: 3 年間の追跡調査
・自殺関連行動と文化: 自傷とボディモディフィケーションに関する文化精神医学的考察
・青少年の自殺予防のために何ができるか
・自傷行為をする中学・高校生は, 友人との関わりをどのように捉えているか―自傷経験者のブログを用いて―
・児童・青年期の非自殺性自傷
論文。自傷全般の話と自傷行為のリスク、自傷とボディモディフィケーション、自殺関連行動、自傷から考える自殺予防、が主な内容。
・自分を傷つけずにはいられない人へ 「決して良いことではないけれど、悪いことでもない」
・「いのちの大切さ」を説くだけでは子どもは救えない
生きるための「孤独な対処スキル」としての子どもの自傷。大人ができることは?
・リストカット「気持ちいい」と言ってしまう理由 自傷との向き合い方
・ピアスとタトゥー、そして自傷の傷痕・「死にたい」と向き合う
・もしも身近な人の自傷に気づいたら
ネット記事は最近読んだものだけ。
自傷行為についての記事や論文や書籍はもっぱら松本俊彦さんのもの。偏りが出てしまうかと思い一応色々な人の論文を読んでみたりしたけれど、文献資料でだいたいは松本俊彦さんの本などが出ていたのとだいたいは同じようなことを述べているので多分偏りはない、はず。
当事者であるからこそ読んでいてなるほどなと思うことが沢山あった。
- 若者の約1割に自傷の経験あり
- 自傷は傷の手当をしないことも含め自傷。傷の手当を求めることは「反・自傷的行動」として称賛されるべき行為
- 自傷の本質は「誰にも頼らずに自分自身で苦痛を緩和すること」
- 「見える傷」の背後には「見えない傷」がある
- 自傷行為の背後には絶対的居場所欠陥状態がある
- 自傷行為とは単に自らの皮膚を切る(cut)だけでなく、自分の意識から「つらい感情」「つらい出来事の記憶」も切り離して(cut away)、「何も起こらなかった」「何も感じなかった」ことにする行為
- 同時に「体の痛み」によって「心の痛み」に蓋をする行為
- 「リストカットでは死なない」としても「リストカットする奴は死なない」とは言えない
- 自傷行為経験者は10年以内の自殺既遂により死亡する確率が自傷行為未経験者と比べ400~700倍高い。自傷は死への迂回路である。
- 「助けを求めないこと」自体が自傷行為→自傷を繰り返す人は特に援助希求能力が低い
- 自傷とボディモディフィケーションの境界は曖昧
- 自傷行為のあと、血液中にエンケファリン(脳内モルヒネ物質)分泌が促され、それが不快感情の軽減に繋がっているのでないか
- 自傷の鎮痛作用は麻薬と同じように耐性を生じやすい→エスカレートしやすい
- 「ストレスへの脆弱性」により自殺リスクが高まる
- 自傷行為をしている人たちはそうでない人たちよりも、摂食障害の傾向が顕著(飲酒や過量服薬なども同様)
- 自傷行為と虐待、生育環境の関連性
- 自傷への対応の基本「Respond medically, not emotionally(感情的に反応するな、医学的に反応せよ)」
- 習慣的な自傷はアディクション(嗜癖)の可能性ーアディクションとなりやすい物質や行動の共通点①物質や行動による快楽の増幅または不快の解消②使用による即効性があるか③それは他者を介在しないか(1人でできるものか)ーに全て当てはまる
自傷行為経験者の自殺リスクが高いのは、自傷行為によって死へのハードルが下がっていること(痛みや自分を傷つけることに対しての抵抗度が下がっていること)もあるけれど、それ以上にそもそもに助けを求める力(援助希求能力)が低いからではないかと前々から考えていた。自傷をしなければ生きていけない状況ということ自体がまず問題で、周りに頼れない、頼り方がわからないからこそ自傷で孤独の対処をする他ないのではないか。頼れる人がいたとしても、過去の虐待など不適切な養育環境にあったことを考えると「自分なんて居なければよかった」と考えるからこそ頼ることが出来ないのではないか、と。
あとは記憶も切り離している(cut away)からこそ(見えない)傷が余計に見えにくくなってるんだなぁと色々なものを読み進めていてつくづく思った。切り離さないと普通に過ごせないほどの苦痛だからこそ、それを切り離すことが間違いだとは思わないけれど切り離すことでむしろ恐怖心だけのフラッシュバック(言葉にしないまま無理やり蓋をした感情が溢れ出ている状態)をするのかなぁ。それが意味もなく死にたいとかよくわからないけど死にたいとかに繋がるのかな。あとこれはTwitterで他の人を見ていたり、まあ自分も含め、顕著だなぁと思っていたこと。自傷行為をしている人は他の自己破壊的な行為をしていることがすごく多い。自分を傷つけることに対して抵抗がないというか、自傷の種類を多く持っている、ような感覚。同じものを使っていると鈍るから、複数のものを用いてなんとか対処している。リストカットなどで外部を、飲酒や過量服薬、摂食障害的な行為で内部からも自分を傷付ける状態なのではないか。それも全て鈍った結果が自殺なのではないか(死への迂回路、という考え方はこういうことなのかな)。
死への迂回路、と言うけれど私はそれ自体が悪いことではないと思っている。迂回することで見つかるものもあるから。迂回しているうちに出会ったもので生きることができるようになるかもしれないから。けれど、死を手繰り寄せてしまっているというのは事実で、難しいなぁと思う。まだまだ吸収しきれてない消化不良な感じ。勉強しながらなるほどなぁと思うことも多いのでまだまだ続けていく、つもり。
HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味。HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であり、統計的には人口の15%~20%。5人に1人があてはまる『性質』であると言われている。
自分はHSPの症状(HSPは性質であって病気では無いので、この言い方が正しいのか分からないけれど)に当てはまってはいるもののなんだかそれを自分でHSPだと言い切るのが変な感じがして噛み切れないような感覚を持っている。ので、本を読んでみた。何冊か。
ただ自分の考えとしてはHSPというものが確立された何かだとか思えていない。しっかりとしたエビデンスがあり、研究が進められているというわけでもないので概念としては存在していてもこの言葉を例えば医療の現場で使ってる医者も少ないんじゃないかなぁと。なので、こういうものもあるんだなぁ、くらいの気持ちで。重く受け止めるものと言うよりは、「明るい性格」「恥ずかしがり屋な性格」とか、そういうのの1つとして「敏感すぎて生きづらい性格」くらいの感覚として受け取りながら本を読み進めてみた。
・鈍感な世界に生きる 敏感な人たち
・過敏で傷つきやすい人たち
・HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン) の教科書
・敏感な人や内向的な人がラクに生きるヒント
読み進めていてどれもだいたい言ってることは同じだったので軽くまとめてみる。5人に1人って考えると(その5人に1人のHSP全員が生きづらいというわけではないけれど、生きづらさを感じやすいのは事実だと思う)世に生きづらい人って何人いるんだろうなぁと呆気に取られてしまう感じ。
・感覚処理感受性とソーシャルスキル,精神的回復力の関連性の検討
・心理的敏感さに対するレジリエンスの緩衝効果の検討
・Highly Sensitive Person Scale日本版(HSPS-J19)の作成
こういうのを見てるとやっぱり病気とか障害とかではなく一種の特性、性格として見るべきものだなぁと。根本としてその気質があったとしてもそれが現れるかどうかって結構環境因子的な要因も大きい気がする。
- HSPの特徴 DOESー深く処理する、過剰に刺激を受けやすい、全体的に感情の反応が強く、特に共感力が高い、些細な刺激を察知す
- HSPには70%の内向的なタイプと30%の外向的なタイプが存在する
- 外向的なタイプは生育環境に恵まれ育った場合が多く、内向的なタイプはその逆
- HSPは安心感のない家庭で育つと特に恐怖や憂鬱を感じやすい
- 自己肯定感が低くなりがちで自分を追い込みやすい
- 無意識な自分ルール、自分自身がどうあるべきかについて高い基準を設けている
- 自尊心が低いからこそ優秀でいようとする
- 憂鬱になりやすい
- 相手の気持ちも過敏に感じてしまう故に怒りが上手く放出できない
- ネガティブな自己像を持ちやすい
周りからストイックだ、と言われる原因がわかった。これだ。これだった。「そうしなければいけない」という感覚さえも自分ルールだ、と。自分自身への高い基準を設けることは自己肯定感や自尊心が低いことに繋がっているというのはものすごく共感した。自分をよく思っていない人は、それを補うために努力し、様々な分野で優秀であろうとする(そうしていないと自分の価値を見いだせない)。しかしその一方で心の奥底では、自分がちゃんとうまくできているか酷く不安に思っている。下記は読んでいて自分のことだと手が止まってしまった部分。
低い自尊心と高い基準は補い合う関係にあります。
「自分は高い基準を設けなければ、だれからも愛されない」と思っていても、きっと現実が、その考えが間違っていることを証明するでしょう。いつかはありのままの自分を愛してくれる人が現れます。
しかし、自分に高い基準を設けることで誰かに好かれた経験があって、低い自尊心を高い基準により補うという方法をずっととり続けてきたなら、相手は「あなた自身」を好きなのか、「あなたの親切心」が好きなのか、どちらなのか知ることができません。だから、「自分は愛されないんだ」という思いこみが心に巣くったまま離れないのです。 HSPはこれまでの人生で愛された経験が幾度となくあるにもかかわらず、心のなかではひそかに「愛してくれたのは、自分が自分であるからではなく、高い基準を設けているからにすぎない」と思うのかもしれません
自分で自分のハードルを上げ、逃げ道をなくしてしまっている。奥底にある「頑張らないと好いてもらえない」が、努力の結果好かれると「頑張ったから好いてもらえている、ただの自分には価値がない」という考えに変わっていく。そして、「頑張り続けなければいけない」、または、「頑張らなければ見捨てられる、頑張ったからこそ好いてもらえた」と思ってしまうのではないか。今までの自分の行動パターンもだいたいこれ。自分からハードル上げて、達成して褒められたら余計にもっと上を目指して自分でも戻ることが出来なくなってしまう。自尊心が低いからこそ自己顕示欲が強く、その自己顕示欲を満たす方法もすごく不健康(無理をしてまで頑張り続ける)なんだろうなと。
また、怒りを察知しやすいが相手の気持ちを考えてしまうがために怒りを放出することもできないというのはそういうことか!と思った。で、相手に怒りをぶつけずになんとか怒りを放出する方法と言えば1個前に取り上げた自傷だろう。あれは自分で怒りを処理できる方法だ。また、過敏すぎるからこそネガティブになりやすい。自分が怒られていなくても怒られているような感覚、その場の空気に圧倒され、飲まれてしまうんだと思う。
HSPのなかでも外向的なタイプと内向的なタイプが存在していて、それは先天的なものというより後天的なものらしい。家庭環境に恵まれていれば外向的なタイプ(敏感さを強みにしていける)になるが、その逆であれば内向的なタイプになる。あとは外向的なタイプの中にも「そうせざるを得なかった、そうすることしか認められずに育ったために」外向的、という場合もあると。そう考えると、HSPという気質だけがどうという話ではなく育ちの過程で起こったことも複合して関係しているんだな、と。虐待や貧困に関しても言えることだけれど、HSPの生きづらさに関しても原因はひとつじゃないんだなと思う。ただ発達障害の話題でも話した通り、「その病名か」(HSPは病気じゃないとわかった上で、発達障害などと比較する意味でこう表記します)よりも、もっとも大切なのは「じゃあどう支援するか、変えていくか」。それが難しいんだけどね。自分はHSPだ、おしまい。じゃなく、それならどうしたら生きやすくなるんだろうか、何かヒントはないか?と考えるまでが自分がHSPだと感じたときにすべき行動なのかな、と思う。それもあるから自分はいつまで経っても明らかに共通点があっても自分をHSPだと思えない(思いたくない)のかもなぁ。
最近は社会福祉士(精神保健福祉士)のことやそれに関連した精神疾患、社会的入院、他にも色々な社会制度だったり児童養護施設のこと、児童相談所の1時保護の環境とかも含めて勉強しているところ。ちょっと開いた口が塞がらないような事例も結構な数あったりしてすごく重たい気持ちになるところはあるんだけれど、いい面も悪い面も加味した上で色々考えつつまたまとめたいなと。